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愛情その3(渡辺謙主演ドラマ)

動物の親子愛は見ていてよく分かる。 敵から子供を守る親の姿が見えるから。   人間はどうなのだろうか。 やはり、動物と変わらない。 人間も動物だから。   五木寛之さんのエッセイの中に、母親は息子が犯罪者でも息子を信じて息子のことを思っている。 周りがどんなに息子のことを非難しても、息子を守って、信じてあげることができるのが母親だ。 というようなことを書いてあった。(ちょっと定かではないが)   吉展ちゃん誘拐事件を取り扱った渡辺謙主演のドラマがある。 「刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史~」 これは傑作だった。   その中で、上述のエッセイの文をほうふつさせるシーンがある。 犯人の母親が雨の中で八兵衛(渡辺謙)に土下座をして許しを請うところがある。 「刑事さん、息子が大変ご迷惑をかけて申し訳ありません。…」 そのシーンが、なぜか感動して残っている。   親は子供に愛を注ぐ。 その子供が犯罪者になっている。 人を殺している。 そんな子供の親ですみません。 雨の中で、ぬかるんだ地面にうずくまり謝っている。   子供が犯罪者でも親は子供を愛している。 五木寛之さんのエッセイの文が浸み込んだ。   やはり、親は子供を愛している。 子供はその愛によって包まれている。 そんなこと、子供には分からないかもしれない。 親も、そんなことは思っていないかもしれない。 でも、基本、親は子供を愛している。   よく言われること。 亡くなってから、親のありがたみを知る。 そんな言葉が身に染みる年になった。

愛情その2( カラス)

ツバメやカルガモならいい。 家に巣を作りに来ても、何となく許せる気分になれる。   昔、家の前の電信柱にカラスが巣を作ったことがある。   市役所か、電気会社かに巣を撤去してもらうように電話をした。 すると、係の人がやって来て、電信柱の上に登って行った。   巣の様子を見て降りてくると、 「巣の中に卵があるから撤去はできない。 ヒナがいなくなってから撤去します。」 と言った。   自分としては、なんか腑に落ちなかった。 カラスが、またどんどん増えてしまうのではないか、 という思いの方が強かった。   自転車のかごに買い物が入ったレジ袋が置かれている。 すると、入っていた中身はすべて外に乱雑に放り出される。   畑の作物は荒らされる。 トウモロコシなど、ちょうど食べ頃で収穫しようという時に、すべてつつかれてしまう。 作った人間の口には入らない。   すべてカラスによる。 そんなカラスが、このままではまた増殖することになる。   でも撤去しないと言われたのだから、仕方がないと思うしかなかった。   そして、3羽のカラスが新たに誕生した。 ヨチヨチ歩きの小さなカラスが羽を不器用に広げて、親のカラスの後を歩いていた。 これは電信柱にいたカラスだろうなと思った。   カラスがまた増えた。 心の中では嬉しくなかった。   3羽の小さなカラスはヨチヨチと歩いていた。 親のカラスは電線にとまって3羽のカラスを見ていた。 親のカラスがしっかり見ていた。 そして、3羽のカラスは成長し、空を自由に飛んだ。   畑の被害も増加することになるだろう。 なんか納得できなかった。   親は子供たちに、 あの畑には食べ物があるから。 自転車のかごの中にもあるかもしれないから。 気にかけておくように。 なんて言っているかもしれない。   これも親の愛情のひとつ。 その愛情により、こちらの迷惑度はアップ。    

愛情その1( ツバメとカルガモ)

今年も2階の屋根の軒下に、鳥が巣を作り始めたようだ。 ガサゴソ、ピーチク、うるさい。 非常に困っている。迷惑だ。   ツバメが巣を作るなら、縁起が良いということで、皆ツバメの巣は守っている。 ツバメは害虫を食べる益鳥として、また、人通りの多い家の軒先に巣をつくるので、商売繁盛の象徴として大切にされている。   友人の歯科医の玄関の軒下にも、毎年ツバメが巣を作っている。 「ツバメの巣あり注意」なんて張り紙がしてある。   東名のサービスエリアにもトイレの軒下に、やはりツバメが巣を作っていた。 これも「頭上注意」なんて張り紙がされていた。   やはり、ツバメは守られているようだ。 ツバメなら糞のことを考えると躊躇するが、やはり歓迎ということだろう。   春になると、鳥たちの姿が映像で流される。 ピーチク、ひな鳥が餌を欲しがっている姿や、親がくちばしでひな鳥に餌を与えている姿などだ。   映像は微笑ましい、親子愛を感じさせるような作りになっている。 特に親の子への愛情が見てとれる。   子が成長しなければ種が途絶えてしまう。 そんな切実な思いも見られる。   何年か前に東京でカルガモの親子が、よちよち歩いて引っ越しをしている姿を見たことがある。 これもまたよくテレビなどで引っ越しの様子がニュースになっている。   それを実際に目の当たりにして、驚きと共に感動をした。 なんか有名人を見た時と同じような感覚になった。   親鳥の後をひな鳥が7羽くらいよちよちと一生懸命に歩いている。   その姿は人間社会にも当てはまる。   親は子供に愛情をそそぐ。 子供には分からないかもしれないけれど。 子供は親の愛情に包まれている。   自分は、そんな子供達を教えている。 それは肝に銘じておかなければならない。 そんなことをいつも心の片隅に置いて、生徒と接しています。

字が大きいと勉強は?その2

字について考える必要があります。 字が上手いか下手かは関係ありません。 それよりも字が丁寧に書かれているかどうかが問題です。 小学1年生と小学6年生では、当然、書く字の大きさは変わってきます。 小学1年生では大きく、間違えないように注意して書くようにします。 小学6年生では字を書くということは文を書くことになります。 小学1年生のように字を大きく書くことはありません。 このように学年ごとに字に対する考え方が変わってきます。 小学高学年になっても、小学低学年の頃のように大きな字で書いている生徒もいます。 これは、変えていかなければなりません。 大きな字を通常の大きさの字と同等の時間で完成させるためには線を書く速度を速くしなければなりません。 円を手で描くのを想像してみてください。 半径2㎝の円を手で描くのと、半径5㎝の円を描くのとを比較してみます。 同じ速さで線を描いていけば、当然、半径5㎝の円の方が時間はかかります。 2つの円の完成時間を同じにするならば、半径5㎝の円の線を描く速度を速くするしかありません。 その結果、線は雑になってしまいます。 文字は線の組み合わせで成り立っています。 上述の理由より、字が大きいと一文字を書く時間がかかることになります。 小学高学年になると板書を写す量など増えてきます。 板書を写す時間も速くなければなりません。 そのためにも字は大きくてはいけない。 ということになります。 板書を写す時間が足りない。 その結果、写すことをしなくなってきます。 写す字が雑になってきます。 後から何と書いてあるのか自分でも分からない。 なんてことにもなります。 また、速く字を書くために「う」を「-」と書いたりしてしまいます。 たとえば、「ぐうすう」を「ぐ-す-」なんて書いたりします。 このような癖がつくとなかなか癖はなくなりません。 字は丁寧に書く。 これは重要なことです。 そんなこと言われなくても分かっている。 だけど、現実はなかなかできない。 それも分かります。 意識の中に入っているだけでも違ってきます。 まずは意識してみてください。

0は曲者

 0は曲者 数字の0は何もないと覚える。 でも、その何もない0の左横に1を書いて10とすると十進法では1が10個集まった10となる。 ここで普通に使っている0が計算では大きな落とし穴になる。 例えば、小学4年生で学習する一桁でわる割り算で824÷4のように答えの十の位が0になるような計算において0を書かない子供がいる。 割り算の筆算で答えが立たない位には0を忘れずに書く、 というのがこの計算での注意点である。 でも、よく考えると何もないのだったら何も書かないのでも良いのではと考えることもできる。 確かに一理ある。 そんなことを考えて計算において答えに0を書かないということはないだろうが、答えに0を書かないで間違える子供はいる。 840÷4のような計算の時もそうである。 計算でつまずく時の一つがこの0という数字が関係してくる。 0という数字は曲者だと思っている。

勉強ができるようになるために必要なもの②

  まずは子供の意識が勉強のできるようになる状態なのか見てみる。   小学校低学年においては、親の子供への干渉はその後に大きな影響を与えます。 テスト結果だけでは見えないものがあります。 勉強している時、子供は意識が勉強に向いているのか。 知る必要があります。   いちばん分かりやすいのが筆箱の中。 特に消しゴムです。   新しい消しゴムをやってもすぐなくなってしまう。 そんなにはやく消しゴムはなくなるものではありません。   でも、また新しい消しゴムを与えなければならない。 なぜか消しゴムの消費がはやい。 そんな時は要注意です。   筆箱の中の消しゴムを見てみると小さく分かれている。 消しゴムを線引きで小さく切っている可能性があります。   それを周りに投げている可能性もあります。 消しゴムが字を消す以外に使われています。   そのような筆箱の中身の子供はなかなか勉強ができるようにはなりません。   筆箱の中身が消しゴムのカスでいっぱい。 または消しゴムのなくなる周期がはやい。 そんな場合はそのような行為をなくすようにしなければなりません。   鉛筆も先が丸いままになっている。 それではいけません。 いつも先を削っておく癖をつけておく必要があります。   シャープペンも分解されて使えない状態で入っている。 シャープペンは分解するものではなく字を書くものです。   無意識のうちに、いつの間にかシャープペンが時間をつぶすおもちゃになってしまっているかもしれません。   筆箱の中は子供の勉強に対する意識の在り方を表しています。   筆箱の中が上述のような状態で乱雑になっていた。 それならば、それを変えることが勉強のできるようになるための一歩となります。   勉強をする時に使う物の扱い方でその人の勉強に対する意識が示されます。 そのことは注意しておくとよいでしょう。    

勉強ができるようになるために必要なもの①

  勉強ができるようになるために必要なものは何でしょうか。   当然、人それぞれ違うように必要なものも違ってきます。 ただ、多くの子供たちと接してきてこれは必要だなと思うことはあります。 それは「素直さ」です。   「こうした方が間違いも少なくなり、いいよ。」 とすすめても、かたくなにこちらの言う通りにはしない生徒がいます。   分かりやすい例で言うと、算数・数学での計算において。   小学生が頭の中で計算をして出した答えが違っているので、 「筆算をしっかり書いて計算をしてごらん。」 と言っても、なかなか筆算をしようとしません。 また頭の中で計算をして、また間違った答えを出しています。   中学生も方程式の計算で、やはり頭の中で計算をして答えが間違っています。 計算途中をしっかり書いて解いていけば間違いもどこで間違ったのかも分かります。   「計算途中をしっかり書いた方が間違いも少なくなり、答えも楽に出せる。」 と言っても、頭の中で計算して書こうとはしません。 頭の中で計算している時間の方が計算途中を書いて解くより時間がかかっています。   こうなるとテストでは、できる時とできない時があるようになります。 確実性がなくなってしまいます。 そして、それがずっと続いてしまうことになります。   「こうした方がいいよ。」ということに耳を傾け、その方法を実行してみる。 そんな「素直さ」は勉強ができるようになるためには必要なものです    

いろいろな人がいる。

前にテレビで芸人がクレジットカードをお金が出てくる打ち出の小槌と思っているような発言をして周囲の芸人に批判されていた。 芸人だからふざけてそんな発言をしているのだろうと思った。 でも、ひょっとしたら本当に思っていたのかもしれない。 自分の尺度で他人を見てはいけない。 世の中にはいろいろな人がいる。 このことは良い意味でも、悪い意味でも認識しておかなければならない。 日本では通常生活において文字が読めないということは根底に考えられていない。 でも、世界中で考えれば文字が読めない人が多くいる。 そういう人たちがいるということも頭に置いておかなければならない。 けれども、日本にいると、そんなことを考えたりしない。 むずかしい字が読めなかったり、書けなかったりはする。 でも、通常の生活で困るような範囲で読み書きができないということはあまりない。 時代劇などで、庶民が他の人に文字が読めないので読んでくださいと頼んでいるようなシーンがある。 それは昔のことだからと思うかもしれないが、現在でもそういうことはあるのだ。 そういうことも認識しておかなければならない。 常に自分を基準にして考えて物事を判断する。 そういうことに疑問を持つ必要がある。 いろいろな人がいるということを認識すべきである。 そうすれば、そのいろいろな人がいろいろな考えを持っているということを知る。 そして、自分もいろいろな人の一人だということも知る。 自分の考えが正しいと思ってしまっていないか。 自分の考えが間違っているということは考えないのか。 そもそも正しい、間違いは基準がどこにあるのかによって変わってくる。 このことは一番頭の中に入れておかなければならない。 そうすれば、相手の立場に立ってみることがしやすくなる。 そうすれば、間違いを正しやすくなる。

iPhoneじゃないんですね。

若い人と話をする機会があった。 (この言い方は年よりじみていて嫌だが…。) その時、スマホを見て 「iPhone じゃないんですね。」 と言ってきた。 「iPhoneは高いから、安いスマホでいいんだよ。」 と言うと、 「でも、月々払うようにしておけば払うのは安くて済むじゃないですか。」 と言ってきた。 「でも、払う総額は結局同じで高いからね。」 と言ったら 「そうですかあ。」 と言って、別に気にしていないようだった。 月々に払っている額はそれほど高くなくても結局払う総額は高くなっているという感覚が少ないのだろうか。 あるいは、いっぺんに高額は払えないけれど月々少なくして払うことにより高額な物でも手に入る。 だからよい。 という感覚なのだろうか。 きっと、その考えなのだろう。 そして、これが今の主流なのだ 今、どうしても必要な物がある。 でも、それを手に入れるにはお金が足りない。 そんな時でも手に入る。 ありがたいことだ。 確かに昔だったらお金がたまらなければ手に入らなかった。 それが分割払いで、すぐ手に入る。 欲しいと思った時に手に入ることは喜ばしい。 お金がたまるまで待っていたら、なかなか手に入らない。 お金がたまった頃には欲しい物ではなくなっている可能性もある。 豊かな時代になっている。 でも、高額で手に入れた物の支払いはしなければならない。 そのことはしっかり頭に入れておかなければならない。 でも、やっぱり豊かな時代になっている。 それは実感して、感謝すべきだ。

順序の可視化

物事が上手く進むにはそのための順序がある。 その順序通りやれば効率よくできるようになっている。 その効率のよい順序を知るためにはいろいろな試行錯誤が必要だ。 常にこの方法が一番なのだろうかと考える習慣もつけておいた方が良い。 数学においての計算問題など効率のよい順序で計算をしていれば間違いも少なく、時間もかからない。 自分が効率のよい計算をしているのかを知るためには計算過程が書かれていなければならない。 でも、それがなかなか実行されていない。 計算過程を順序よく書きながら計算をしていく生徒と頭の中で計算をして答えだけを書く生徒がいる。 やはり、計算過程を書いている生徒の方が計算結果は間違いが少ない。 頭の中で計算をして答えだけ書いている生徒に 「ちゃんと計算過程を書いて計算するといいよ。」 と言う。 すると、 「書くと時間がかかるし頭の中でやった方が速いから。」 という答えが返ってくる。 果たして、その答え通りなのだろうか。 頭の中で計算をしているという生徒を見ると計算過程を書いて順序よくやっている生徒よりも時間がかかっている。 頭の中でいろいろ考えているようだが、それは時には苦痛のようにも見える。 頭の中だけの作業なのでかえって大変なことのように見える。 時間もかかってしまっている。 目を使ったり、手を使ったりする計算過程を書く方が脳にも分かりやすいはずだ。 無理に考えて計算する必要がない。 計算過程を紙に書いて計算するのは、ただ書き出して順序よく数字を動かしている感じがするくらいだ。 それは疲れが少ないことも意味している。 時間がかかるからと言って紙に書かないで頭の中で計算する方がよっぽど時間がかかり脳にも負担がかかることになる。 効率のよい順序は目で見て、いろいろ工程を並び替えることにより見つけられる。 頭の中にあるものは一回外に出して形のあるものにして考えるとより分かりやすくなる。 そうではないだろうか。

言葉その3「分からない」「できない」

「分からない。」「できない。」 と問題を見ただけで言う生徒がいる。 気持ちは分かる。 問題を読んでも分からない。 という気持ちになるのも分かる。 でも、言葉にしてしまうと、その気持ちが確定されてしまう。 より確実になってしまう。 だから言葉に出してはいけない。 精神論から言うとそのようになる。 でも学習法としては間違っている。 精神論でいろいろ言っても、できないものはできない。 この時の学習法としては、 「分からない。」「できない。」をいかに言わせないか。 「分かる。」「できる。」をいかに言わせるかになる。 そのためにはこんなことぐらいはできるだろうという位のレベルに下げて問題を出す。 それによって始めは 「分からない。」「できない。」 と言っていた生徒もよく読んでみると簡単な問題なので仕方なくでもやるようになる。 すると、「分かる。」「できる。」が繰り返される。 この繰り返しを徐々にレベルアップさせて行う。 「分からない」「できない」を言わせない。 これがポイントだ。  「分かる。」「できる。」 今度は言葉に出した方が良い。 言葉にすると確定するなら、確実になるなら、 今度は言葉に出したい。

言葉その2

言葉を魔法の言葉とか言霊とか呼んでいろいろ書物が出ている。 言葉にどれほどの力があるのかは分からない。 ただ言葉によって印象が変わる実感はある。 文章に表してみると同じものでも口から出される語調によって大きく印象が変わる。 怒っていたり甘えていたり、話し言葉と書き言葉で変わってくる。 私たちは話す、言葉にするということを注意する必要がある。 言葉は相手に影響を与えるものだということも再認識する必要がある。 そして、そんな言葉を使えることにも感謝しなければならない。 お店で買い物をする。 レジで「いつもありがとうございます。」 と言われる。 ただ、「ありがとうございます。」ではなくて、「いつも」がついている。 いつもこの店で買い物をしているわけではないのだが、いつもと言われて悪い気はしない。 ちょっと、うれしい感じもする。 このように言葉はちょっとしたことで受け取り方が変わる。 言葉にはそんな効果があることを忘れてはならない。 それは、逆の場合もあるということだ。 何気なく発した言葉が相手には大きなダメージを与えることがある。 そういうこともある。 そのことは頭に置いていた方がよい。

言葉その1

言葉とは本来その土地の環境民俗に合わせて発達していったと思う。 世界を見ても環境は寒いところ、暖かいところ、日本のように四季があるところなどさまざまだ。 その環境に合わせて人間は進化し、ひとつのかたまりとなる。 それが民族だ。 民族に合わせて言葉は発達しているはずだ。 侵略戦争などにより民族が淘汰されていく。 勝者、弱者に分かれ、勝者による弱者の植民地化が始まる。 それによって、本来持っていた民族、環境に合わせた言葉も淘汰されて勝者の言葉となる。 それが繰り返される。 今は世界的標準語としては英語が考えられる。 これは、侵略戦争の勝利の結果とも考えられる。 グローバル化によるものだ。 という考えの方が強いかもしれないが、それも勝者の言葉だ。 本来、言葉は前述したように環境、民族に合わせて発達しているはずだ。 体のつくり、周りの空気の振動の仕方等で、それらに合わせた最適な言葉が本来は使われ、発達したはずだ。 世界で考えられることは小さな日本においても同様に考えられる。 ありがたいことに日本は近代の戦争において他国の植民地とはならなかった。 そこで日本語は守られた。 それでも、日本の各地に育てられた方言はどんどん薄くなっていっている。 世界の状態と同じ状態になっている。 それが悪いというわけではない。 しかし、言葉がその環境に合わせて発達していったものだとすると少し寂しい感じがする。

挨拶(あいさつ)

挨拶(あいさつ)をする。 塾において挨拶は重要なものだと思っている。 多くの生徒は塾において挨拶をしてくる。 「こんにちは」「さようなら」「ありがとうございました」 丁寧に挨拶をする生徒もいる。 でも 残念な事に挨拶をしない生徒もいる。 朝起きたら日本だったら、「おはようございます」「おはよう」 寝る前には、「おやすみなさい」「おやすみ」 色々な国が色々な言葉で「おはよう」「おやすみ」 を言う。 国々の風土に合った「おはよう」「おやすみ」だ。 朝起きたら「さあ、これから頑張ろう」という「おはよう」 寝る時には、これから安眠をという「おやすみ」 これらの言葉が各国の言葉で言われているはずだ。 各国の風土に合った言葉で言われているはずだ。 暑い国では朝起きた時に暑いけど頑張ろう。 寒い国では言葉も凍るような寒さだけど今日も一日頑張ろう。 挨拶はそんな気持ちが込められた言葉のはずだ。 だからこそ挨拶は大切にしなければならない。 人に会う時に挨拶は重要だ。 でも、挨拶もしない。 そういう人もいる。 挨拶は重要なコミュニケーションの道具である。 使える道具はできるだけ有効に使った方が良い。

疑問を持つ その3

「どうしてだろう」を体中いっぱいにする。 いつかその「どうしてだろう」が出てくるのを待つ。 出てきたら、それを手にする。 はじめて手の中に「どうしてだろう」の中身を見るかもしれない。 中身を見ようとするかもしれない。 そんなことになればしめたもの。 ならなくてもよいと考えているくらいでちょうどよい。 「どうしてだろう」が「そうなのか」になって「それはこうだからなのか」と思考がつながるのがよい。 そうなれば論理的思考ができるようになり、物語などの起承転結が分かりやすくなってくる。 考え方の道ができる。 問いかけから結論までの道が開けてくる。 見えてくる。 本を読むのが好きな子供に本を読んだ後に感想文を書くように言う。 読解力がつくだろうと思ってよかれと思って言う。 でもそれが逆効果になることが往々にしてある。 読書感想文を書くということは好きではない。 ただ本を読むことが好きなのだ。 その結果、読書感想文を書くのが嫌で本を読むこともやめてしまう。 本を読むことも嫌になってしまう。 逆効果である。 だから、考えることも、どうしてだろうと思うことも、思うだけで調べる必要はない。 そう思っていた方がよい。 強制から積極性、自主性はなかなかうまれない。 強制は受動を作るだけで自主性はできない。 今の時代はちょっと調べようと思ったらすぐに何でも調べることができる。 そんな時代だからこそ、疑問に思うことを多く持ち、またそれがすぐ調べることができるようになれば、分からないことがどんどん理解できていく。 仕組みが分かると面白い。 理解できたことの喜びも多くなってくる。 そうなればよいと思っている。 また、それができる時代でもある。 

疑問を持つ その2

今の時代、調べようと思えばすぐ調べることができる時代である。 スマホでちょっと検索なんて、みんなやっていることだ。 「どうしてだろう」と思う気持ちは大切である。 子供が「どうしてだろう」と思った時、子供のその気持ちを大切にしようと思って、「それじゃ一緒に調べてみましょう」とか、「その疑問を解いてみよう」とか言う。 その「どうしてだろう」という気持ちの答えを出そうとする。 往々にしてそのようにしがちだ。 子供も喜んで一緒に調べてみようとするならよい。 しかし、そうではない場合もある。 そこまでしたくない。 と思うこともあるだろう。 そんな気持ちにはお構いなしに一緒に調べようとする。 自分で調べてみなさい、と言う。 それは子供の「どうしてだろう」と思う気持ちを段々失くして行ってしまう可能性がある。 大切なことは「どうしてだろう」と思うことだ。 それが重要である。 答えは二の次だ。 そのように思っている方がよい。 「どうしてだろう」がいっぱい集まると、いつかその「どうしてだろう」が体の中から出てくる。 どれか一つの答えが見つかることがある。 そんな時、見つかった時に他の物についても答えを出そうと思うかもしれない。 そんなつもりで子供の「どうしてだろう」を見守る必要がある。 「どうしてだろう」を体中いっぱいにする。 そして、いつかそれが出てくることを待つほうがよい。

疑問を持つ その1

何故だろうと思うことが大切。 疑問を持つことが大切。 別にその疑問に対してどうしてだろうと調べる必要はない。 疑問のままで構わない。 「どうしてだろう。」「どうしてそうなるのだろう。」 と思うことが大切。 その「どうしてだろう」を体の中にたくさんため込む。 たくさん体の中に疑問が詰まっていると、そのうちなんかの拍子で疑問の一つが体の中から出てくることがある。 その疑問が解けることがある。 分かることがある。 その分かった時、そうだったのかと思う時、体は喜ぶ。 その喜びが次に疑問を解こうと思わせる。 住んでいる場所の関係上、目の前に富士山が見える。 いつも同じ姿をしているわけではない。 富士山の頭に笠雲がかかると雨が降ると言われている。 実際に雨が降る。 どうしてだろうと思う。 どうしてだろうと思ってそのままにしておく。 中学の理科の天気の問題にこんな問題があった。 (問1) 前線付近や山の近くでは水蒸気をふくむ空気が上昇して雲が発生しやすい。 標高0mにある気温25度、露点15度の空気が上昇していくと何mのところで雲が発生するのか。ただし、空気は100m上昇するごとに1度下がるものとする。 (問2) 富士山には秋から初冬にかけて笠雲がかかることがある。 「富士山に笠雲がかかると雨」など、いろいろなことわざがある。 その笠雲にはいろいろな種類があり、低いところにできるものと高いところにできるものがある。 このように笠雲のできる高さに違いが出るのはなぜか。 雲のでき方から考えられる理由を述べなさい。 こんな問題を見た時に、いつも見ていた富士山に対して思った「どうしてだろう」が、体の中から出てくる。 すると、この問題がとても気になって、しっかり解いてみよう。 どうしてか、しっかり答えを出したい。 知りたいと思うようになる。 体の中から疑問の一つが飛び出した。 上記の簡単な解答 (問1) 露点は現在含まれている水蒸気が水滴になる温度のこと。 露点15度の場合、気温が15度になると水滴が発生する。 雲は水滴の集まりと考えると、上昇した空気が15度になれば雲が発生することになる。 つまり気温25度が15度に下がれば雲が発生する。 25度-15度=10度  空気は100m上昇すると1度下がるので10度下がるには 100m×10度=1000m よって1000mのところで雲が発生する...

たし算・ひき算

小学1年生で学習するたし算、ひき算において最近は学校でも指を使ってのたし算、ひき算をしないように注意しているそうだ。 5-3=2 というような計算を暗記するような風潮もある。 そうすれば計算が速いからだ。 実際に計算は速くなる。 中学受験においても円周率の関係する計算などは暗記させられる。 限られた試験時間においては計算にかかる時間は速い方がよい。 インドの数学が発達している要因の一つに2けたの九九を覚えているということだと聞いている。 ただこの計算の暗記には弊害がある。 たす、ひくの概念が頭の中に出来にくい。 5-3=2 という計算を暗記しているだけでは、ただの数字が頭の中に入っているだけとなる。 りんごが5個あります。 みんなで3個食べました。 あといくつ残っているのでしょうか。 このような問題の内容が理解しにくくなってしまう。 丸を5個描いて3個消すでもよいし、棒(線)を5本書いて3本消すのでもよい。 指を5本立てて3本折って残りを数えるのでもよい。 とにかく、目で実際に多くなったり少なくなったりするのを見ておくというのが大切なことである。 これが小学1年生など低学年で体得しておくべき重要なことになる。 往々にして計算が速くできるということが、「算数のできる」につながるように思われがちだ。 でも、そこに落とし穴がある。 当然、最低限の計算はできるということは前提だ。 ただ、計算の速さだけに重点を置いてはならない。 低学年の時には計算の暗記よりも概念を覚えておくのが後々のことを考えると重要になってくる。  ということは知っておかなければならない。

らんちゅう(金魚)

らんちゅう(金魚)を飼っている。 6、7年ほど飼っているらんちゅうがだいぶ前から転覆病になっている。 転覆病とは簡単に言えば体が浮いてしまって水面に浮かんでしまう病気である。 このらんちゅうは体長12cm位でかなりまるまるとした体形の老体である。 転覆病に効果があるという餌に変えて与えていたが効果がみられないままだった。 だんだんと水面で動かなくなり、死んでいるのかといつも心配をして見ていた。 もうこれは仕方がないとあきらめていた。 ダメもとで、らんちゅうが好きな餌とネットに書かれていた餌を購入し与えてみた。 すると、今まで死んだように水面上で逆さになって浮いていたらんちゅうがその餌欲しさに底に落ちた餌をがんばって食べに来た。 今まで満足に泳げもしなかったらんちゅうが餌を食べたくて無理やり泳いできている感じだ。 その後、そのらんちゅうは餌を与えた時には底の方に泳いでくるようになった。 転覆病が治ったわけではないけれども、体を動かして泳ぐということがされるようになっただけでも改善されたと思われる。 このことと同様に、勉強することも自分が好きだと思われるものならば勉強しようという気持ちになれるということは誰もが知っている。 まずは自分が好きだと思われる科目を伸ばす。 このことを意識した勉強法を考える。 これが効率のよい勉強法のひとつとなります。 長所伸展法です。 これを上手く利用して勉強することを習慣づけることが大切です。 まずは得意科目を作ること。  

PKの練習方法

この前のサッカーW杯結果においてPK戦によって勝敗が決まるのが多いような気がした。 サッカーにはそんなに詳しくないけれど、守備に徹して引き分けに持っていってPK戦で勝ちにいくというのも勝つ方法としてはアリとなる。 要はPK戦で勝敗を決めるということだ。 もうそんなことは常識だよと言われるかもしれない。 繰り返して言うけれども、サッカーには詳しくないので…。 その方法で勝ちにいくなら、ゴールキーパーと選手にはPKの練習を特別にしてPK戦では負けないようにしなければならない。 「効率的な練習方法はどんな方法があるのだろうか。」 と思っていたら、テレビで興味のあるPKの練習方法を言っていた。 それは「毎日の練習の本当の最後に一本だけPKの練習をして終わりにする。このPKは実践と同じ気持ちで真剣に一本だけ蹴る。」  ということだった。 この一本だけの実践と同じ真剣勝負でPKをして練習終了。 これは効果的だ。 実践と同じ気持ちで最後に締める。 これはサッカーだけに限ったことではない。 なんでも実践と同じ気持ちで緊張感を持って行うことは効果的である。 勉強に対しても同じことが言える。 普段からテストを受ける気持ちで勉強できれば効果はより上がる。 そのためには環境からテストのときと同じ状態にしておくことが必須条件となる。 まずはテストを受ける時の周りの状況を想像してみよう。 それができたら、どのように勉強していけばよいかも分かってくる。