疑問を持つ その3

「どうしてだろう」を体中いっぱいにする。

いつかその「どうしてだろう」が出てくるのを待つ。

出てきたら、それを手にする。


はじめて手の中に「どうしてだろう」の中身を見るかもしれない。

中身を見ようとするかもしれない。

そんなことになればしめたもの。

ならなくてもよいと考えているくらいでちょうどよい。


「どうしてだろう」が「そうなのか」になって「それはこうだからなのか」と思考がつながるのがよい。

そうなれば論理的思考ができるようになり、物語などの起承転結が分かりやすくなってくる。


考え方の道ができる。

問いかけから結論までの道が開けてくる。

見えてくる。


本を読むのが好きな子供に本を読んだ後に感想文を書くように言う。

読解力がつくだろうと思ってよかれと思って言う。


でもそれが逆効果になることが往々にしてある。

読書感想文を書くということは好きではない。

ただ本を読むことが好きなのだ。


その結果、読書感想文を書くのが嫌で本を読むこともやめてしまう。

本を読むことも嫌になってしまう。

逆効果である。


だから、考えることも、どうしてだろうと思うことも、思うだけで調べる必要はない。

そう思っていた方がよい。


強制から積極性、自主性はなかなかうまれない。

強制は受動を作るだけで自主性はできない。


今の時代はちょっと調べようと思ったらすぐに何でも調べることができる。

そんな時代だからこそ、疑問に思うことを多く持ち、またそれがすぐ調べることができるようになれば、分からないことがどんどん理解できていく。

仕組みが分かると面白い。


理解できたことの喜びも多くなってくる。

そうなればよいと思っている。

また、それができる時代でもある。