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愛情その3(渡辺謙主演ドラマ)

動物の親子愛は見ていてよく分かる。 敵から子供を守る親の姿が見えるから。   人間はどうなのだろうか。 やはり、動物と変わらない。 人間も動物だから。   五木寛之さんのエッセイの中に、母親は息子が犯罪者でも息子を信じて息子のことを思っている。 周りがどんなに息子のことを非難しても、息子を守って、信じてあげることができるのが母親だ。 というようなことを書いてあった。(ちょっと定かではないが)   吉展ちゃん誘拐事件を取り扱った渡辺謙主演のドラマがある。 「刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史~」 これは傑作だった。   その中で、上述のエッセイの文をほうふつさせるシーンがある。 犯人の母親が雨の中で八兵衛(渡辺謙)に土下座をして許しを請うところがある。 「刑事さん、息子が大変ご迷惑をかけて申し訳ありません。…」 そのシーンが、なぜか感動して残っている。   親は子供に愛を注ぐ。 その子供が犯罪者になっている。 人を殺している。 そんな子供の親ですみません。 雨の中で、ぬかるんだ地面にうずくまり謝っている。   子供が犯罪者でも親は子供を愛している。 五木寛之さんのエッセイの文が浸み込んだ。   やはり、親は子供を愛している。 子供はその愛によって包まれている。 そんなこと、子供には分からないかもしれない。 親も、そんなことは思っていないかもしれない。 でも、基本、親は子供を愛している。   よく言われること。 亡くなってから、親のありがたみを知る。 そんな言葉が身に染みる年になった。

愛情その2( カラス)

ツバメやカルガモならいい。 家に巣を作りに来ても、何となく許せる気分になれる。   昔、家の前の電信柱にカラスが巣を作ったことがある。   市役所か、電気会社かに巣を撤去してもらうように電話をした。 すると、係の人がやって来て、電信柱の上に登って行った。   巣の様子を見て降りてくると、 「巣の中に卵があるから撤去はできない。 ヒナがいなくなってから撤去します。」 と言った。   自分としては、なんか腑に落ちなかった。 カラスが、またどんどん増えてしまうのではないか、 という思いの方が強かった。   自転車のかごに買い物が入ったレジ袋が置かれている。 すると、入っていた中身はすべて外に乱雑に放り出される。   畑の作物は荒らされる。 トウモロコシなど、ちょうど食べ頃で収穫しようという時に、すべてつつかれてしまう。 作った人間の口には入らない。   すべてカラスによる。 そんなカラスが、このままではまた増殖することになる。   でも撤去しないと言われたのだから、仕方がないと思うしかなかった。   そして、3羽のカラスが新たに誕生した。 ヨチヨチ歩きの小さなカラスが羽を不器用に広げて、親のカラスの後を歩いていた。 これは電信柱にいたカラスだろうなと思った。   カラスがまた増えた。 心の中では嬉しくなかった。   3羽の小さなカラスはヨチヨチと歩いていた。 親のカラスは電線にとまって3羽のカラスを見ていた。 親のカラスがしっかり見ていた。 そして、3羽のカラスは成長し、空を自由に飛んだ。   畑の被害も増加することになるだろう。 なんか納得できなかった。   親は子供たちに、 あの畑には食べ物があるから。 自転車のかごの中にもあるかもしれないから。 気にかけておくように。 なんて言っているかもしれない。   これも親の愛情のひとつ。 その愛情により、こちらの迷惑度はアップ。    

愛情その1( ツバメとカルガモ)

今年も2階の屋根の軒下に、鳥が巣を作り始めたようだ。 ガサゴソ、ピーチク、うるさい。 非常に困っている。迷惑だ。   ツバメが巣を作るなら、縁起が良いということで、皆ツバメの巣は守っている。 ツバメは害虫を食べる益鳥として、また、人通りの多い家の軒先に巣をつくるので、商売繁盛の象徴として大切にされている。   友人の歯科医の玄関の軒下にも、毎年ツバメが巣を作っている。 「ツバメの巣あり注意」なんて張り紙がしてある。   東名のサービスエリアにもトイレの軒下に、やはりツバメが巣を作っていた。 これも「頭上注意」なんて張り紙がされていた。   やはり、ツバメは守られているようだ。 ツバメなら糞のことを考えると躊躇するが、やはり歓迎ということだろう。   春になると、鳥たちの姿が映像で流される。 ピーチク、ひな鳥が餌を欲しがっている姿や、親がくちばしでひな鳥に餌を与えている姿などだ。   映像は微笑ましい、親子愛を感じさせるような作りになっている。 特に親の子への愛情が見てとれる。   子が成長しなければ種が途絶えてしまう。 そんな切実な思いも見られる。   何年か前に東京でカルガモの親子が、よちよち歩いて引っ越しをしている姿を見たことがある。 これもまたよくテレビなどで引っ越しの様子がニュースになっている。   それを実際に目の当たりにして、驚きと共に感動をした。 なんか有名人を見た時と同じような感覚になった。   親鳥の後をひな鳥が7羽くらいよちよちと一生懸命に歩いている。   その姿は人間社会にも当てはまる。   親は子供に愛情をそそぐ。 子供には分からないかもしれないけれど。 子供は親の愛情に包まれている。   自分は、そんな子供達を教えている。 それは肝に銘じておかなければならない。 そんなことをいつも心の片隅に置いて、生徒と接しています。

字が大きいと勉強は?その2

字について考える必要があります。 字が上手いか下手かは関係ありません。 それよりも字が丁寧に書かれているかどうかが問題です。 小学1年生と小学6年生では、当然、書く字の大きさは変わってきます。 小学1年生では大きく、間違えないように注意して書くようにします。 小学6年生では字を書くということは文を書くことになります。 小学1年生のように字を大きく書くことはありません。 このように学年ごとに字に対する考え方が変わってきます。 小学高学年になっても、小学低学年の頃のように大きな字で書いている生徒もいます。 これは、変えていかなければなりません。 大きな字を通常の大きさの字と同等の時間で完成させるためには線を書く速度を速くしなければなりません。 円を手で描くのを想像してみてください。 半径2㎝の円を手で描くのと、半径5㎝の円を描くのとを比較してみます。 同じ速さで線を描いていけば、当然、半径5㎝の円の方が時間はかかります。 2つの円の完成時間を同じにするならば、半径5㎝の円の線を描く速度を速くするしかありません。 その結果、線は雑になってしまいます。 文字は線の組み合わせで成り立っています。 上述の理由より、字が大きいと一文字を書く時間がかかることになります。 小学高学年になると板書を写す量など増えてきます。 板書を写す時間も速くなければなりません。 そのためにも字は大きくてはいけない。 ということになります。 板書を写す時間が足りない。 その結果、写すことをしなくなってきます。 写す字が雑になってきます。 後から何と書いてあるのか自分でも分からない。 なんてことにもなります。 また、速く字を書くために「う」を「-」と書いたりしてしまいます。 たとえば、「ぐうすう」を「ぐ-す-」なんて書いたりします。 このような癖がつくとなかなか癖はなくなりません。 字は丁寧に書く。 これは重要なことです。 そんなこと言われなくても分かっている。 だけど、現実はなかなかできない。 それも分かります。 意識の中に入っているだけでも違ってきます。 まずは意識してみてください。

0は曲者

 0は曲者 数字の0は何もないと覚える。 でも、その何もない0の左横に1を書いて10とすると十進法では1が10個集まった10となる。 ここで普通に使っている0が計算では大きな落とし穴になる。 例えば、小学4年生で学習する一桁でわる割り算で824÷4のように答えの十の位が0になるような計算において0を書かない子供がいる。 割り算の筆算で答えが立たない位には0を忘れずに書く、 というのがこの計算での注意点である。 でも、よく考えると何もないのだったら何も書かないのでも良いのではと考えることもできる。 確かに一理ある。 そんなことを考えて計算において答えに0を書かないということはないだろうが、答えに0を書かないで間違える子供はいる。 840÷4のような計算の時もそうである。 計算でつまずく時の一つがこの0という数字が関係してくる。 0という数字は曲者だと思っている。

勉強ができるようになるために必要なもの②

  まずは子供の意識が勉強のできるようになる状態なのか見てみる。   小学校低学年においては、親の子供への干渉はその後に大きな影響を与えます。 テスト結果だけでは見えないものがあります。 勉強している時、子供は意識が勉強に向いているのか。 知る必要があります。   いちばん分かりやすいのが筆箱の中。 特に消しゴムです。   新しい消しゴムをやってもすぐなくなってしまう。 そんなにはやく消しゴムはなくなるものではありません。   でも、また新しい消しゴムを与えなければならない。 なぜか消しゴムの消費がはやい。 そんな時は要注意です。   筆箱の中の消しゴムを見てみると小さく分かれている。 消しゴムを線引きで小さく切っている可能性があります。   それを周りに投げている可能性もあります。 消しゴムが字を消す以外に使われています。   そのような筆箱の中身の子供はなかなか勉強ができるようにはなりません。   筆箱の中身が消しゴムのカスでいっぱい。 または消しゴムのなくなる周期がはやい。 そんな場合はそのような行為をなくすようにしなければなりません。   鉛筆も先が丸いままになっている。 それではいけません。 いつも先を削っておく癖をつけておく必要があります。   シャープペンも分解されて使えない状態で入っている。 シャープペンは分解するものではなく字を書くものです。   無意識のうちに、いつの間にかシャープペンが時間をつぶすおもちゃになってしまっているかもしれません。   筆箱の中は子供の勉強に対する意識の在り方を表しています。   筆箱の中が上述のような状態で乱雑になっていた。 それならば、それを変えることが勉強のできるようになるための一歩となります。   勉強をする時に使う物の扱い方でその人の勉強に対する意識が示されます。 そのことは注意しておくとよいでしょう。    

勉強ができるようになるために必要なもの①

  勉強ができるようになるために必要なものは何でしょうか。   当然、人それぞれ違うように必要なものも違ってきます。 ただ、多くの子供たちと接してきてこれは必要だなと思うことはあります。 それは「素直さ」です。   「こうした方が間違いも少なくなり、いいよ。」 とすすめても、かたくなにこちらの言う通りにはしない生徒がいます。   分かりやすい例で言うと、算数・数学での計算において。   小学生が頭の中で計算をして出した答えが違っているので、 「筆算をしっかり書いて計算をしてごらん。」 と言っても、なかなか筆算をしようとしません。 また頭の中で計算をして、また間違った答えを出しています。   中学生も方程式の計算で、やはり頭の中で計算をして答えが間違っています。 計算途中をしっかり書いて解いていけば間違いもどこで間違ったのかも分かります。   「計算途中をしっかり書いた方が間違いも少なくなり、答えも楽に出せる。」 と言っても、頭の中で計算して書こうとはしません。 頭の中で計算している時間の方が計算途中を書いて解くより時間がかかっています。   こうなるとテストでは、できる時とできない時があるようになります。 確実性がなくなってしまいます。 そして、それがずっと続いてしまうことになります。   「こうした方がいいよ。」ということに耳を傾け、その方法を実行してみる。 そんな「素直さ」は勉強ができるようになるためには必要なものです    

いろいろな人がいる。

前にテレビで芸人がクレジットカードをお金が出てくる打ち出の小槌と思っているような発言をして周囲の芸人に批判されていた。 芸人だからふざけてそんな発言をしているのだろうと思った。 でも、ひょっとしたら本当に思っていたのかもしれない。 自分の尺度で他人を見てはいけない。 世の中にはいろいろな人がいる。 このことは良い意味でも、悪い意味でも認識しておかなければならない。 日本では通常生活において文字が読めないということは根底に考えられていない。 でも、世界中で考えれば文字が読めない人が多くいる。 そういう人たちがいるということも頭に置いておかなければならない。 けれども、日本にいると、そんなことを考えたりしない。 むずかしい字が読めなかったり、書けなかったりはする。 でも、通常の生活で困るような範囲で読み書きができないということはあまりない。 時代劇などで、庶民が他の人に文字が読めないので読んでくださいと頼んでいるようなシーンがある。 それは昔のことだからと思うかもしれないが、現在でもそういうことはあるのだ。 そういうことも認識しておかなければならない。 常に自分を基準にして考えて物事を判断する。 そういうことに疑問を持つ必要がある。 いろいろな人がいるということを認識すべきである。 そうすれば、そのいろいろな人がいろいろな考えを持っているということを知る。 そして、自分もいろいろな人の一人だということも知る。 自分の考えが正しいと思ってしまっていないか。 自分の考えが間違っているということは考えないのか。 そもそも正しい、間違いは基準がどこにあるのかによって変わってくる。 このことは一番頭の中に入れておかなければならない。 そうすれば、相手の立場に立ってみることがしやすくなる。 そうすれば、間違いを正しやすくなる。

iPhoneじゃないんですね。

若い人と話をする機会があった。 (この言い方は年よりじみていて嫌だが…。) その時、スマホを見て 「iPhone じゃないんですね。」 と言ってきた。 「iPhoneは高いから、安いスマホでいいんだよ。」 と言うと、 「でも、月々払うようにしておけば払うのは安くて済むじゃないですか。」 と言ってきた。 「でも、払う総額は結局同じで高いからね。」 と言ったら 「そうですかあ。」 と言って、別に気にしていないようだった。 月々に払っている額はそれほど高くなくても結局払う総額は高くなっているという感覚が少ないのだろうか。 あるいは、いっぺんに高額は払えないけれど月々少なくして払うことにより高額な物でも手に入る。 だからよい。 という感覚なのだろうか。 きっと、その考えなのだろう。 そして、これが今の主流なのだ 今、どうしても必要な物がある。 でも、それを手に入れるにはお金が足りない。 そんな時でも手に入る。 ありがたいことだ。 確かに昔だったらお金がたまらなければ手に入らなかった。 それが分割払いで、すぐ手に入る。 欲しいと思った時に手に入ることは喜ばしい。 お金がたまるまで待っていたら、なかなか手に入らない。 お金がたまった頃には欲しい物ではなくなっている可能性もある。 豊かな時代になっている。 でも、高額で手に入れた物の支払いはしなければならない。 そのことはしっかり頭に入れておかなければならない。 でも、やっぱり豊かな時代になっている。 それは実感して、感謝すべきだ。

順序の可視化

物事が上手く進むにはそのための順序がある。 その順序通りやれば効率よくできるようになっている。 その効率のよい順序を知るためにはいろいろな試行錯誤が必要だ。 常にこの方法が一番なのだろうかと考える習慣もつけておいた方が良い。 数学においての計算問題など効率のよい順序で計算をしていれば間違いも少なく、時間もかからない。 自分が効率のよい計算をしているのかを知るためには計算過程が書かれていなければならない。 でも、それがなかなか実行されていない。 計算過程を順序よく書きながら計算をしていく生徒と頭の中で計算をして答えだけを書く生徒がいる。 やはり、計算過程を書いている生徒の方が計算結果は間違いが少ない。 頭の中で計算をして答えだけ書いている生徒に 「ちゃんと計算過程を書いて計算するといいよ。」 と言う。 すると、 「書くと時間がかかるし頭の中でやった方が速いから。」 という答えが返ってくる。 果たして、その答え通りなのだろうか。 頭の中で計算をしているという生徒を見ると計算過程を書いて順序よくやっている生徒よりも時間がかかっている。 頭の中でいろいろ考えているようだが、それは時には苦痛のようにも見える。 頭の中だけの作業なのでかえって大変なことのように見える。 時間もかかってしまっている。 目を使ったり、手を使ったりする計算過程を書く方が脳にも分かりやすいはずだ。 無理に考えて計算する必要がない。 計算過程を紙に書いて計算するのは、ただ書き出して順序よく数字を動かしている感じがするくらいだ。 それは疲れが少ないことも意味している。 時間がかかるからと言って紙に書かないで頭の中で計算する方がよっぽど時間がかかり脳にも負担がかかることになる。 効率のよい順序は目で見て、いろいろ工程を並び替えることにより見つけられる。 頭の中にあるものは一回外に出して形のあるものにして考えるとより分かりやすくなる。 そうではないだろうか。

言葉その3「分からない」「できない」

「分からない。」「できない。」 と問題を見ただけで言う生徒がいる。 気持ちは分かる。 問題を読んでも分からない。 という気持ちになるのも分かる。 でも、言葉にしてしまうと、その気持ちが確定されてしまう。 より確実になってしまう。 だから言葉に出してはいけない。 精神論から言うとそのようになる。 でも学習法としては間違っている。 精神論でいろいろ言っても、できないものはできない。 この時の学習法としては、 「分からない。」「できない。」をいかに言わせないか。 「分かる。」「できる。」をいかに言わせるかになる。 そのためにはこんなことぐらいはできるだろうという位のレベルに下げて問題を出す。 それによって始めは 「分からない。」「できない。」 と言っていた生徒もよく読んでみると簡単な問題なので仕方なくでもやるようになる。 すると、「分かる。」「できる。」が繰り返される。 この繰り返しを徐々にレベルアップさせて行う。 「分からない」「できない」を言わせない。 これがポイントだ。  「分かる。」「できる。」 今度は言葉に出した方が良い。 言葉にすると確定するなら、確実になるなら、 今度は言葉に出したい。