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基本はやっぱり大事 その1

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包丁の持ち方にも基本があるということを知って驚いた。 自分の握りやすい持ち方で包丁は持ち、野菜など切れば良いものと思っていた。   基本の持ち方で包丁を持ち、野菜を切ってみた。 今までと違うのでちょっと切りにくい。 でも、基本は大切だ。   今までの持ち方は自己流。 やはり基本の持ち方に変える必要がある。 基本は今までの先人の行いの蓄積で成り立っている。 基本をマスターすることが先へ進む一番の近道になる。 これはすべてのことに共通している。   物事には全て基本がある。 スポーツでも基本がしっかりしていないと強くなれない。 まずは基本のマスターから始まる。   漫画でヘタウマというのが流行ったことがある。 基本の絵が上手く描けて、初めて人から見て下手そうな絵が描ける。 下手な絵ではない。 下手そうな絵である。   ピカソの絵を 「幼稚園児が描いた絵のようだ。」 と言った人がいる。 ピカソにとって、それは誉め言葉のようだ。   ピカソは 「子供のように絵を描けるようになるのに一生かかった。」 と言っている。   ピカソの少年時代のデッサンや肖像画を見ると驚く。 ピカソ15歳の時に描いた母親のパステル画を見ると、後のピカソの絵は想像できない。 パステル画から見られる写実の技術的な巧みさはもう円熟さが見られるくらいだ。 やはり、ピカソは天才だということが分かる。   ピカソは少年時代に、もう写実的な絵では大成していた。 次なるステップに進んだ結果が現代知られているピカソの絵になっていく。 デッサン力があり基本がしっかりしているということが次へのステップにつながっている。 そのことが、よく分かる。   天才も基本の上に成り立っている。     2023/06/28    

結果は「0」か「100」

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結果は「0」か「100」か、で判断する。 つまり、「できたか」、「できないか」で判断する。 途中の「30」、「70」は関係ない。 「0」 か「100」か、だ。 結果はそれで判断される。   成長はそういうわけにはいかない。 成長は過程を見る。 過程を重視する。   「0」 の時よりも「30」になっている。 「50」になっている。 「70」になっている。 それが重要だ。 成長はそれを見る。   「100」でないから「0」と同じ。 成長はそういうわけにはいかない。   でも、往々にして、「70」も「50」も「30」も「0」と等しく見る。 過程を見る余裕などない。 成長など気にもしない。   木を切るのに、のこぎりを1000回引いた。 それでも木は切れなかった。 だから引くのをやめた。   同じように木を切るのにのこぎりを100回引いた。 当然 切れていない。 だから、引くのをやめた。   結果はどちらも木を切ることはできていない。 だから結果は同じ。   次の日にまた木を切りに来た。 のこぎりを1000回引いた木はのこぎりを1回引くと木が切れた。 2日間の結果では、のこぎりを100回引いたものと同じとは言えなくなる。   でも 1 日の結果で見れば、両方とも木は切れていない。 結果は同じ。 結果が全て という言葉もある。   2023/06/04  

またまた字について その2

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一部の生徒で書く字に変化がみられる。   「ぐうすう」を「ぐーすー」と書く。 「う」を「―」に変えて書く。 確かに流れるように速く書けるかもしれない。 いつの間にか、このように書くことが普通になっている。   すると、「う」は完全に「―」に頭の中では置きかわってしまう。 言語が変わる。   一筆書きのように流れるように書くためには自然と筆圧は弱くなる。 さらさらと滑らかに書くのであればペンより筆がよい。 でもペンを使っている。   ペンでも抵抗が少なく、流れるように書くためには筆圧は弱い方がよい。 必然的にペンを持つ力は弱くなる。 ペンをつまむような、力を入れない持ち方になる。 ますます字は流れる線のようになっていく。   それと対照的な例もある。 数字の1や6を書くときの縦線を書く速度がびっくりするくらい速すぎる。 なぜか知らないけれど、短距離走の選手のように、息を止めて起点から終点まで一気に書く。   ちょっと表現できないが、見ていてびっくりするような勢いで縦線を書く。 その勢いのまま他の線も書くので、字が安定されず何を書いているのか分からないような字になってしまう。   当然、0と6は書いた本人も識別できないくらいになってしまう。 スマホ、パソコンを使うから自分で字を書くことなど、これからはなくなっていく。 だから、字なんて書かなくてもよい。   自分が分かれば、漢字が間違っていても、「う」が「―」でもよい。 相手が読むような文はパソコンで、スマホで作成するから心配ない。   確かにそうかもしれない。 そんな考えになって当然だ。 でも最近の字の乱れはそれだけのことが要因なのだろうか。    

またまた字について その1

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やはり目について気になってしまう字について。   最近、字の乱雑さが拡散している感じがする。 多く目にするようになってきた。   字は上手、下手に関係なくきれいに書く。 それができなくても人が読める字を書く。 それは最低限必要なことだと思う。   しかし、最近の傾向は人が読める字を書くどころか、自分でも読めない字を書く。 これは男子に多く見られる。   一筆書きで書くような字になっている。 昔のように、かな文字ならば一筆書きでよいだろう。 漢字があるので、そういうわけにはいかない。   今は言葉がどんどん省略されて使われるようになっている。 書き言葉も話し言葉化されているようだ。   漢字などそれと分かればちょっとくらいパーツが変わっていてもよい。 書きやすければよい。 そんな意識の延長上に字が雑で一筆書き状態がある。   時代は字を省略化する方向に進んでいるのかもしれない。 書くのが難しい漢字は省略化され、簡単になり、最後は棒線の縦線、横線だけで表す。 なんてことも現実離れした話ではなくなるかもしれない。   2023/05/16    

正しいこと間違っていること

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コーヒーを飲む時にスプーンのことをさじと言ったら、家人に大笑いされた。 「今時、さじなんて言う人はいない。」 「スプーンでしょ。」 自分も別にいつもはスプーンと言っている。 たまたま、さじという言葉が出てきただけだ。   それなのに 「いつの時代の人。」 とまで言われた。   料理の番組などで、小さじ2杯、大さじ1杯とか言っている。 小スプーン2杯、大スプーン1杯とは言っていない。 さじという言葉を使っている。   それなのに 「いつの時代の人。」 とは言われない。   別にさじという言葉を使ってもいいだろう。 いろいろな人がいる。 世界にはいろいろな人がいて、いろいろな言葉を使って、いろいろな習慣がある。 みんな同じではない。   ひょっとすると異星人、未来からまたは過去から来た人がいるかもしれない。 ドラマの見すぎと言われるかもしれないが。 否定はできない。 分からないから。 分からないことは「ない」と否定はできない。   自分と違うから、おかしいと思うのは傲慢だ。 自分と違うことが当たり前だと思わなければならない。   いろいろな人がいると思えば、いろいろな考えがあることが分かる。 そうなると正しいことは何か分からなくなる。   どれも正しいと言えるし、どれも間違っていると言える。 見方によって正しさは変わる。 そのことは頭に入れておく必要がある。  

信頼関係(雨ニモマケズ)

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「彼がそんなことをするはずはない。そんな人ではない。」 とドラマなどで何か事件があると関係者からそんな言葉が出ることがある。   人間関係ではそのようなことを思ってもらうような付き合いが好ましい。 自分のことをさらけ出して、相手も同様にさらけ出して、お互いに信頼関係を作る。 それがお互いを結びつける。 密に結びつける。 そうなれば前述のような言葉が出てくる。   「そんなことするような人間じゃない。」 それは誠実にお互い接して作られる言葉だ。 百歩譲って彼がそんなことをしたのなら相当なことが彼に起こったのだ。 そんな思いを持ってもらうような信頼関係を築きたい。   「やっぱりそうか。あいつはそういうやつですよ。あいつがやったに違いない。」 自分をさらけ出すことによって、このように思われてしまう場合もある。 あいつはしょうがないやつだと思われていた場合だ。 こうならないように誠実に生きたい。   誠実さが人間を作る。 人間は自分だけが作るのではない。 客観的に周りからどう見られているかということによっても人間は作られる。 それらが自分の多くの部分を作る。 そのことを考えると、やはり誠実に正しい道を歩まなければならない。 周囲が誠実さを持っていると見るならば、それが自分を作る。 自分が周囲によって作られるということを意識していれば行いも自然と正しくなる。   「誰も見ていないと思うかもしれないが、お天道様だけは見ている。」 という言葉がある。 自分を律して生きる。 なかなかできないけれど目標とはしたい。   宮沢賢治「雨ニモマケズ」の最後の言葉。 サウイフモノニ ワタシハナリタイ (そういうものにわたしはなりたい) 2023/06/12

テストの平均点

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「テスト結果が52点だった。」 と生徒が言ってきた。 「でも、平均点は28点だよ。」 とも、付け加えて言った。 「そうなのか。テストがむずかしかったみたいだね。」 「そう、みんなできなかったみたい。」   学校の100点満点のテストで 、 平均点が30点位のむずかしいテストは上位のできる生徒が、どの位いるのかが分かるテストになる。 中位と下位の生徒は同レベルと見られてしまう。   それに対して、平均点が70点位のテストでは上位と中位の生徒が同じレベルとなってしまう。 上位と中位の生徒のレベルの差は分からない。 その代わり下位の生徒が分かるテストとなる。   テストは平均点が高いテストを作った方が全体的には生徒は学力アップできるようになる。 上位と中位の生徒の区別はつかないけれども、平均点が高いテストというのは基本的な問題が多いテストになる。 すると、中位、下位の生徒も基本的な問題の理解で今まで取ったことのないような高得点が取れる。 勉強すれば自分はできる、と自信を持てるような点が取れる。   そのことが、その科目はやればできる。 というようなやる気にもつながる。 その結果が自信につながり、その科目に対する学力の向上にもつながる。 テストは平均点が高いテストを作った方がよいということになる。 全体的なレベルアップがされた後に平均点が低いむずかしいテストでも作ればよいということになる。   平均点が高いテストには弊害がある。 基本中心のテストは上位の生徒にはつまらない。 上位の生徒のモチベーションアップにはつながらないテストになってしまう。   しかし、全体的に見たならばレベルアップが期待できる。 全体的なレベルアップを望むのか、上位の生徒だけの秀でたレベルアップを狙うのかによってテストの作り方が変わってくる。   上、中、下位の全ての生徒のためのテストは基本問題を中心に、やさしい問題とむずかしい問題を少し入れてあるテストとなる。   特に、むずかしい問題は上位の生徒を刺激する。 みんなができないようなむずかしい問題が解けるということは優越感につながる。 ...

富士山三景②

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知人が送ってくれた富士山の写真です。    ①   本栖湖(1)  2023/04/28   ②   本栖湖(2)  2023/04/28   ③    新倉山浅間公園  2023/04/10  

数学の裏技公式その3

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公式は文字式を等式の変形をして表すことにより作られることが多くあります。 作られた文字式に数値を代入すれば、いつも答えが導き出されるわけです。   たとえば中3の解の公式などがそれに当たります。 文字を使って表された2次方程式を平方完成して、それを X について等式の変形をしたものが解の公式です。   解の公式は一時期、教科書から削除され学習しないこともありました。 しかし、現在は教科書に載っていて学習するようになっています。   小学校で学習する時間と速さの問題では「み・は・じ」という公式があります。 み(道のり)=は(速さ) × じ(時間) これをそれぞれ求める値に文字式を変形させます。 3つの値の関係が乗除計算によるものならば、この「み・は・じ」のような公式になります。   たとえば、理科の密度問題。 「し・み・た」と覚えて、これらの3つの関係が式で表されます。 し(質量)=み(密度)×た(体積) これを求める値に文字式を変形させます。   このことからも自分で公式は考えることができます。 自分で考えたと思った公式もだいたいは、もう誰かが考えているものばかりだと思います。 自分で公式を作ってみようと思うことが学力につながります。   公式を覚えやすくすることも大切です。 語呂合わせなどを使って自分が覚えやすいようにする。 覚えやすくする自分流の方法を見つけることが必要です。   中3数学の裏技公式では 2次関数の変化の割合=比例定数×(~から+~まで) 台形の対角線で出来た面積比(上底 a 、下底 b ) ­ = a 2 : ab : ab : b 2 相似の2つの三角形の平行線問題 = 和分の積、差分の積 などが挙げられます。   チビもがんばっています オランウータンのスカイウォーク 多摩動物公園   2023/05/05