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言葉その2

言葉を魔法の言葉とか言霊とか呼んでいろいろ書物が出ている。 言葉にどれほどの力があるのかは分からない。 ただ言葉によって印象が変わる実感はある。 文章に表してみると同じものでも口から出される語調によって大きく印象が変わる。 怒っていたり甘えていたり、話し言葉と書き言葉で変わってくる。 私たちは話す、言葉にするということを注意する必要がある。 言葉は相手に影響を与えるものだということも再認識する必要がある。 そして、そんな言葉を使えることにも感謝しなければならない。 お店で買い物をする。 レジで「いつもありがとうございます。」 と言われる。 ただ、「ありがとうございます。」ではなくて、「いつも」がついている。 いつもこの店で買い物をしているわけではないのだが、いつもと言われて悪い気はしない。 ちょっと、うれしい感じもする。 このように言葉はちょっとしたことで受け取り方が変わる。 言葉にはそんな効果があることを忘れてはならない。 それは、逆の場合もあるということだ。 何気なく発した言葉が相手には大きなダメージを与えることがある。 そういうこともある。 そのことは頭に置いていた方がよい。

言葉その1

言葉とは本来その土地の環境民俗に合わせて発達していったと思う。 世界を見ても環境は寒いところ、暖かいところ、日本のように四季があるところなどさまざまだ。 その環境に合わせて人間は進化し、ひとつのかたまりとなる。 それが民族だ。 民族に合わせて言葉は発達しているはずだ。 侵略戦争などにより民族が淘汰されていく。 勝者、弱者に分かれ、勝者による弱者の植民地化が始まる。 それによって、本来持っていた民族、環境に合わせた言葉も淘汰されて勝者の言葉となる。 それが繰り返される。 今は世界的標準語としては英語が考えられる。 これは、侵略戦争の勝利の結果とも考えられる。 グローバル化によるものだ。 という考えの方が強いかもしれないが、それも勝者の言葉だ。 本来、言葉は前述したように環境、民族に合わせて発達しているはずだ。 体のつくり、周りの空気の振動の仕方等で、それらに合わせた最適な言葉が本来は使われ、発達したはずだ。 世界で考えられることは小さな日本においても同様に考えられる。 ありがたいことに日本は近代の戦争において他国の植民地とはならなかった。 そこで日本語は守られた。 それでも、日本の各地に育てられた方言はどんどん薄くなっていっている。 世界の状態と同じ状態になっている。 それが悪いというわけではない。 しかし、言葉がその環境に合わせて発達していったものだとすると少し寂しい感じがする。

挨拶(あいさつ)

挨拶(あいさつ)をする。 塾において挨拶は重要なものだと思っている。 多くの生徒は塾において挨拶をしてくる。 「こんにちは」「さようなら」「ありがとうございました」 丁寧に挨拶をする生徒もいる。 でも 残念な事に挨拶をしない生徒もいる。 朝起きたら日本だったら、「おはようございます」「おはよう」 寝る前には、「おやすみなさい」「おやすみ」 色々な国が色々な言葉で「おはよう」「おやすみ」 を言う。 国々の風土に合った「おはよう」「おやすみ」だ。 朝起きたら「さあ、これから頑張ろう」という「おはよう」 寝る時には、これから安眠をという「おやすみ」 これらの言葉が各国の言葉で言われているはずだ。 各国の風土に合った言葉で言われているはずだ。 暑い国では朝起きた時に暑いけど頑張ろう。 寒い国では言葉も凍るような寒さだけど今日も一日頑張ろう。 挨拶はそんな気持ちが込められた言葉のはずだ。 だからこそ挨拶は大切にしなければならない。 人に会う時に挨拶は重要だ。 でも、挨拶もしない。 そういう人もいる。 挨拶は重要なコミュニケーションの道具である。 使える道具はできるだけ有効に使った方が良い。

疑問を持つ その3

「どうしてだろう」を体中いっぱいにする。 いつかその「どうしてだろう」が出てくるのを待つ。 出てきたら、それを手にする。 はじめて手の中に「どうしてだろう」の中身を見るかもしれない。 中身を見ようとするかもしれない。 そんなことになればしめたもの。 ならなくてもよいと考えているくらいでちょうどよい。 「どうしてだろう」が「そうなのか」になって「それはこうだからなのか」と思考がつながるのがよい。 そうなれば論理的思考ができるようになり、物語などの起承転結が分かりやすくなってくる。 考え方の道ができる。 問いかけから結論までの道が開けてくる。 見えてくる。 本を読むのが好きな子供に本を読んだ後に感想文を書くように言う。 読解力がつくだろうと思ってよかれと思って言う。 でもそれが逆効果になることが往々にしてある。 読書感想文を書くということは好きではない。 ただ本を読むことが好きなのだ。 その結果、読書感想文を書くのが嫌で本を読むこともやめてしまう。 本を読むことも嫌になってしまう。 逆効果である。 だから、考えることも、どうしてだろうと思うことも、思うだけで調べる必要はない。 そう思っていた方がよい。 強制から積極性、自主性はなかなかうまれない。 強制は受動を作るだけで自主性はできない。 今の時代はちょっと調べようと思ったらすぐに何でも調べることができる。 そんな時代だからこそ、疑問に思うことを多く持ち、またそれがすぐ調べることができるようになれば、分からないことがどんどん理解できていく。 仕組みが分かると面白い。 理解できたことの喜びも多くなってくる。 そうなればよいと思っている。 また、それができる時代でもある。 

疑問を持つ その2

今の時代、調べようと思えばすぐ調べることができる時代である。 スマホでちょっと検索なんて、みんなやっていることだ。 「どうしてだろう」と思う気持ちは大切である。 子供が「どうしてだろう」と思った時、子供のその気持ちを大切にしようと思って、「それじゃ一緒に調べてみましょう」とか、「その疑問を解いてみよう」とか言う。 その「どうしてだろう」という気持ちの答えを出そうとする。 往々にしてそのようにしがちだ。 子供も喜んで一緒に調べてみようとするならよい。 しかし、そうではない場合もある。 そこまでしたくない。 と思うこともあるだろう。 そんな気持ちにはお構いなしに一緒に調べようとする。 自分で調べてみなさい、と言う。 それは子供の「どうしてだろう」と思う気持ちを段々失くして行ってしまう可能性がある。 大切なことは「どうしてだろう」と思うことだ。 それが重要である。 答えは二の次だ。 そのように思っている方がよい。 「どうしてだろう」がいっぱい集まると、いつかその「どうしてだろう」が体の中から出てくる。 どれか一つの答えが見つかることがある。 そんな時、見つかった時に他の物についても答えを出そうと思うかもしれない。 そんなつもりで子供の「どうしてだろう」を見守る必要がある。 「どうしてだろう」を体中いっぱいにする。 そして、いつかそれが出てくることを待つほうがよい。

疑問を持つ その1

何故だろうと思うことが大切。 疑問を持つことが大切。 別にその疑問に対してどうしてだろうと調べる必要はない。 疑問のままで構わない。 「どうしてだろう。」「どうしてそうなるのだろう。」 と思うことが大切。 その「どうしてだろう」を体の中にたくさんため込む。 たくさん体の中に疑問が詰まっていると、そのうちなんかの拍子で疑問の一つが体の中から出てくることがある。 その疑問が解けることがある。 分かることがある。 その分かった時、そうだったのかと思う時、体は喜ぶ。 その喜びが次に疑問を解こうと思わせる。 住んでいる場所の関係上、目の前に富士山が見える。 いつも同じ姿をしているわけではない。 富士山の頭に笠雲がかかると雨が降ると言われている。 実際に雨が降る。 どうしてだろうと思う。 どうしてだろうと思ってそのままにしておく。 中学の理科の天気の問題にこんな問題があった。 (問1) 前線付近や山の近くでは水蒸気をふくむ空気が上昇して雲が発生しやすい。 標高0mにある気温25度、露点15度の空気が上昇していくと何mのところで雲が発生するのか。ただし、空気は100m上昇するごとに1度下がるものとする。 (問2) 富士山には秋から初冬にかけて笠雲がかかることがある。 「富士山に笠雲がかかると雨」など、いろいろなことわざがある。 その笠雲にはいろいろな種類があり、低いところにできるものと高いところにできるものがある。 このように笠雲のできる高さに違いが出るのはなぜか。 雲のでき方から考えられる理由を述べなさい。 こんな問題を見た時に、いつも見ていた富士山に対して思った「どうしてだろう」が、体の中から出てくる。 すると、この問題がとても気になって、しっかり解いてみよう。 どうしてか、しっかり答えを出したい。 知りたいと思うようになる。 体の中から疑問の一つが飛び出した。 上記の簡単な解答 (問1) 露点は現在含まれている水蒸気が水滴になる温度のこと。 露点15度の場合、気温が15度になると水滴が発生する。 雲は水滴の集まりと考えると、上昇した空気が15度になれば雲が発生することになる。 つまり気温25度が15度に下がれば雲が発生する。 25度-15度=10度  空気は100m上昇すると1度下がるので10度下がるには 100m×10度=1000m よって1000mのところで雲が発生する...

たし算・ひき算

小学1年生で学習するたし算、ひき算において最近は学校でも指を使ってのたし算、ひき算をしないように注意しているそうだ。 5-3=2 というような計算を暗記するような風潮もある。 そうすれば計算が速いからだ。 実際に計算は速くなる。 中学受験においても円周率の関係する計算などは暗記させられる。 限られた試験時間においては計算にかかる時間は速い方がよい。 インドの数学が発達している要因の一つに2けたの九九を覚えているということだと聞いている。 ただこの計算の暗記には弊害がある。 たす、ひくの概念が頭の中に出来にくい。 5-3=2 という計算を暗記しているだけでは、ただの数字が頭の中に入っているだけとなる。 りんごが5個あります。 みんなで3個食べました。 あといくつ残っているのでしょうか。 このような問題の内容が理解しにくくなってしまう。 丸を5個描いて3個消すでもよいし、棒(線)を5本書いて3本消すのでもよい。 指を5本立てて3本折って残りを数えるのでもよい。 とにかく、目で実際に多くなったり少なくなったりするのを見ておくというのが大切なことである。 これが小学1年生など低学年で体得しておくべき重要なことになる。 往々にして計算が速くできるということが、「算数のできる」につながるように思われがちだ。 でも、そこに落とし穴がある。 当然、最低限の計算はできるということは前提だ。 ただ、計算の速さだけに重点を置いてはならない。 低学年の時には計算の暗記よりも概念を覚えておくのが後々のことを考えると重要になってくる。  ということは知っておかなければならない。

らんちゅう(金魚)

らんちゅう(金魚)を飼っている。 6、7年ほど飼っているらんちゅうがだいぶ前から転覆病になっている。 転覆病とは簡単に言えば体が浮いてしまって水面に浮かんでしまう病気である。 このらんちゅうは体長12cm位でかなりまるまるとした体形の老体である。 転覆病に効果があるという餌に変えて与えていたが効果がみられないままだった。 だんだんと水面で動かなくなり、死んでいるのかといつも心配をして見ていた。 もうこれは仕方がないとあきらめていた。 ダメもとで、らんちゅうが好きな餌とネットに書かれていた餌を購入し与えてみた。 すると、今まで死んだように水面上で逆さになって浮いていたらんちゅうがその餌欲しさに底に落ちた餌をがんばって食べに来た。 今まで満足に泳げもしなかったらんちゅうが餌を食べたくて無理やり泳いできている感じだ。 その後、そのらんちゅうは餌を与えた時には底の方に泳いでくるようになった。 転覆病が治ったわけではないけれども、体を動かして泳ぐということがされるようになっただけでも改善されたと思われる。 このことと同様に、勉強することも自分が好きだと思われるものならば勉強しようという気持ちになれるということは誰もが知っている。 まずは自分が好きだと思われる科目を伸ばす。 このことを意識した勉強法を考える。 これが効率のよい勉強法のひとつとなります。 長所伸展法です。 これを上手く利用して勉強することを習慣づけることが大切です。 まずは得意科目を作ること。