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見てきた光景とこれから見る光景

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  缶詰のブルトップが開かない。 スーパーの肉などを入れる薄いビニール袋の口が開かない。 ペットボトルのキャップが開けられない。 ライターの火を点けられない。 雨戸の開け閉めができない。 …など。   これらは父母が年を取ってから、できないと言ってきたこと。 代わって自分がしたこと。   その時は、 「こんなこともできないのか。」 と思っていた。   「こんなこともできないほど年を取ってしまったんだな。」 と思うことはなかった。 今なら分かる。理解できる。 できないことが。   「こんなこともできないくらい年を取ってしまったんだな。」 そう思って相手のことを気遣ってやらなければいけない。 と今ならば思う。   「こんなこともできなくなってしまったんだ。」 と思ってあげることができる。   「こんなこともできない。」 と、同じ思いになってあげることができる。 でも、その当時はできなかった 。   「開けられない。」 その状況、その年齢になってみないと分からない。   そういえば、父がそんなこと言っていた。 母がそんなことを言っていた。   そんなことを思う年齢になっている。 同じ状況にならなければ分からない。 年を取ってみないと分からない。 若くないと分からない。 見て感じないと分からない。   年を取って手の力がなくなると物が開けにくくなる。 何か援助が必要になってくる。 若ければそれは感じない。   缶詰も缶切りを使わなくても開けられるようになっている。 多くがプルトップで開けるようになっている。 そのプルトップを開けるのにも力がいる。 そのプルトップが開けられなくなる。   いろいろな面で年を取ってこないと分からないことが分かってくる。 そのことと比例して改良しなければならないと思うことが多くある。 それが年を取って分かる。 年を取らなければ分からない。   若い時のことならまだ分かる。 若い時は通過し...

進化は既定路線上にはない

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  人間の体は異物が入ってくると、それを排除するようになっている。   それは人間が古来より持っている自己防衛能力といえる。 体の中に異物が入ってきた場合、それを何らかの方法で排除しなければ身体自体の存在が危険にさらされる。   そこで、体に害のあるもの。 または、今までと異なったものなどが体内に入ってきた場合、それを排除するようになっている。   嘔吐、下痢などが排除のために起こる。 それらによって体の外に異物を出すようにシステムされている。 人間の体はそのようになっている。 それは目に見える現象以外にも起こる。   人間の意志、思考、感情など目に見えないメンタルな部分にも同様のことが起こる。 異人種、異文化など。 そういうものが急に入ってきたならば、排除しようとする。   心の準備ができていない。 平穏が乱される。 今までの慣習通りではなくなる。   そこで排除。 そのような意識が湧き上がる。 起きる。   それは古来より延々と受け継がれてきた。   大きさは関係ない。 異なったものが侵入する。   それが良いこともあるが、悪いこともある。 平穏からの脱却は進化につながる。   進化は既定路線の延長線上にはない。 進化には今まで通りではない何か別のことが必要だ。   人類の進化は突然変異によるもの。 今までと違ったことにより起こった。   石ノ森章太郎の漫画にあった。 猿人たちの中に体毛がない子供が生まれた。 体毛で覆われた猿人たちはその子供を始末しようとする。 しかし、必要とされるものは生き延びる。 今の人類の始まりとなる。   進化は異端より起こる。 何かいつもと違うことが起こる。 これは大変だ。 困った。 と思ってしまう。   そんな時は何か進化のための知らせではないかと考える。 そんなことを思って出来事を見てみる。   すると困ったことも受け入れることができる。 少しかもしれないけれ...

中学2年生が重要な学年

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  中学生においては中学2年生がいろいろな面において重要な学年となります。   中学2年生は中学1年生からつながり、中学3年生へとつなぐ重要な役割の学年です。 中学1年生の学習の理解ができていない場合は中学2年生ならば丁寧に復習をすることができます。 さかのぼって基本をしっかりと定着させることができる学年でもあるということです。   数学で考えてみると、中学2年生では中学において重要な3つの単元を学習します。 1. 連立方程式の利用 2. 1次関数 3. 合同の証明 です。   これらは実力テストでは必ず出題される単元となります。 しかも、理解しにくい単元です。 ですから、しっかり理解して、できるようにしておかなければなりません。   これらをできるようにするためには中学1年生の学習の理解が必要となります。 中学2年生が重要な学年だということは中学2年生でがんばればよいというわけではありません。   中学1年生の学習。 これが土台となって中学2年生の学習が成り立ちます。   中学2年生は重要な学年。 だから、その重要な学年のためにしなければならないこと。 それが中学1年生の学習の理解となります。   中学1年生からしっかり勉強していかなければ。 という気持ちを持つことが必要になるわけです。   つまり、どの学年もしっかり勉強しなければならないという結論になってしまいます。     2023/12/13    

イメージは偏見の塊 その2

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  作られたイメージ。 それも勝手に作られたイメージ。 それは間違っているかもしれない。 けれども合っていることもあるかもしれない。 本質は置き去りにされている。   作られたイメージは分かりやすい。 複雑ではなくなっている。 だから頭に入りやすい。 印象に残りやすい。   人に会った時の第一印象もイメージだ。 そんなイメージで人を決めつける。 人を第一印象で決めてしまう。 イメージを作ってしまう。   多くの人のイメージをまとめて県民性、国民性などと言って遊んでいる。 県民、星座、血液型占いなどということが流行する。   知らない人はイメージにより知らないものを知った気になる。 そうやって物事が作られていく。   一度も会ったこともないのに。 一度も行ったことないのに。 知った気になる。   いろいろなことのイメージが作られいく。 本当のことが分からないままイメージだけが独り歩きしていく。   そしてイメージは本質を押しのけて居座ってしまう。 世の中はそんなイメージで作られている。     2023/12/07    

イメージは偏見の塊 その1

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  コーヒーはマグカップで立って飲む。 紅茶はティーカップでテーブルを前にして座って飲む。 日本茶は湯のみで畳に座って飲む。   実際はそうではないけれど。 自分の中でのイメージはそうなる。   コーヒーは仕事の合間に仕事に向かうために飲む。 紅茶は午後のひと時を優雅に過ごすために飲む。 日本茶は朝に、これから仕事を頑張ろうという感じで飲む。   自分の中でのイメージはそうなる。 自分がイメージすることと同じように他の人もイメージすることはない。 他の人はまた別のイメージを持っている。   各自、それぞれにイメージがある。 今までの経験、環境、その他いろいろなものがかみ合わさってイメージは作られる。   イメージは固定観念である。 ということは偏見とも言える。 イメージは偏見の塊だ。   自分の独断と偏見でイメージは作られる。 本当はどうかも分からないのにちょっとした印象でイメージが作られる。 いつの間にか、そのイメージは定着する。 そして、イメージが実体になってしまう。   イメージはあくまでもイメージだ。 本当は実体とはかけ離れている。 そういうことが多いだろう。   人に対してもイメージを作る。 人は他人に対してイメージが良いとか悪いとか感じる。 初めの時に作られるイメージが多く残る。   そのイメージは実体と合っているのか違うのか。 それは分からない。 そんな分からないイメージで他人を形成する。   あの人はそういう人だからしょうがない。 あの人がそんなことをするはずがない。   そんな言葉が出てくる。 イメージにより作られる言葉だ。   023/11/30    

目線を変える

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  古い映画になるけれど、スピルバーグ監督の「 E.T. 」という作品がある。 映画「 E.T 」は当時、大ヒットした。   良かった点の一つにカメラワークがあると言われた。 当時は斬新だったらしい。   「 E.T. 」、子供たちが見ている映像をそのままスクリーン上に映し出した。 「 E.T. 」、子供たちの視線で見える範囲を映像にしていた。   カメラをいつもより下の位置にして撮っていたらしい。 子供たちが見ている物が分かると子供たちの気持ちも分かりやすい。 同じ目で見ることで同化できる。   親が子どもを育てる時。 子どもが赤ちゃんの時には赤ちゃんの気持ちになって考える。   今、お腹がすいているのか。 オムツを替えてほしいのか。 眠りたいのか。 赤ちゃんの気持ちになって考えなければ分からない。   子どもが幼い時もそうだ。   何をして遊びたいのか。 何が欲しいのか。 子どもの気持ちになってみないと分からない。   子どもの気持ちを知りたくて、自然と自分も子どもになっている。 頼まれたわけでもないのに、命令されたわけでもないのに。 あたり前のように子どもになっている。   時が過ぎて。 いつの間にかそんなことも忘れてしまっている。   いつも、目はまっすぐ前しか見なくなってしまっている。 上も下も見なくなってしまっている。 目線はいつもまっすぐ前に向かっている。   目線を変える。 そんなことも忘れてしまった。 目線を変えるだけで新しいもの、今まで見えなかったものが見えてくる。   時には、自分の愚かさも見えてくる。     2023/11/28    

できる人は土台を無意識に作る

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  建築物は当然のことながら、スポーツ、勉強、芸術、あらゆるものに土台がある。 その土台がしっかりしているかどうか。 それにより土台の上に立つものが決められる。 土台はしっかりしている方が良い。   土台は繰り返しの連続により固くなり大きくなる。 同じような作業を繰り返すことは、つまらない。 しかし、その作業をしっかりとすることで、しっかりとした土台ができる。 その作業を怠り、土台がしっかりしていないと上に乗る物がぐらついてしまう。   そういうことを各分野において、できる人は無意識に分かっている。 ここで言うできる人とはどんな人かということの分類はむずかしいけれど。 できる人は土台作りが重要だということを無意識のうちに分かっている。 小学生の算数の学習で考えてみる。 勉強ができる人、できない人とあえて2つに分類してみる。   たとえば、新しく計算の方法を習ったとする。 計算の仕方はそれほどむずかしくない。 しかし、それを定着させるには反復、繰り返しが必要となる。   定着のためには計算が10回必要とする。 そこで、計算を10回やるように言われる。   できる人は言われた通り、繰り返して同じような計算を10回する。 しかし、できない人は「もう計算方法は分かっているから10回なんかしたくない。」 と言って2回ほどで計算をやめてしまう。 ここで、できる人と差がついているということを認識していない。   数日後、計算ができているかの確認を行う。 できる人は1回目から簡単にできる。 計算が定着できているのが分かる。   できない人は計算方法が定着しておらず、前回のように1からまた計算方法を覚えるような状態になっている。 また、計算を10回やるように言う。   「計算方法は覚えたから10回なんかやらない。」 と言って前回のように2回で終わりにする。   できる人は確実に土台ができて、次に計算の確認をする時も1回で OK になっている。 できない人は何回も始めからを繰り返さなければならない。   このようにして、で...

算数は小学2・5年生に山がある その2

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  算数の計算では加減乗除の計算ができること。 これが土台になって、小数、分数の計算があります。   計算の総まとめの要素でもあるのが小数、分数の計算になります。 小数のかけ算・わり算、分数のたし算・ひき算は小学5年生で学習します。   そこで、小学5年生は「分からない」という生徒が増える学年になります。   中学の数学の計算では小数の計算はほとんどすることがありません。 1÷3は0 , 333…となり小数では表すことができません。 1 / 3と分数で表します。 ですから正確な数字の計算を行うために分数の計算で行うわけです。   そのことを考えると分数のたし算・ひき算の学習時に「何とかできる」は「確実にできる」にしておかなければなりません。   分数のたし算・ひき算ができない場合は通分、約分ができないことが原因です。 通分、約分ができるには最小公倍数・最大公約数を求めることができなければなりません。   そのため、分数のたし算・ひき算の学習直前には最小公倍数・最大公約数を学習するようになっています。   最小公倍数ができなくても分数のたし算・ひき算ができる方法もあります。 分母の数をかけた数を分母にして計算する方法です。 しかし、この方法では答えは約分をしなければならなくなることが多くなります。   最小公倍数で通分ができないと約分もなかなかできないケースが多く、約分をしない答えのままになってしまいます。 そのため、答えが約分していないので正解とされません。   では、分数のたし算・ひき算を確実にできるようにするにはどうしたらよいのか。 残念ながら、この公式を覚えればすぐにできるようになるというものはありません。   ただひたすらに数多く分数のたし算・ひき算をする。 これが一番手っ取り早く計算ができるようになる方法です。   数多く計算をすればコツが分かり、通分・約分も簡単になります。 それらが簡単にできれば、後の計算は楽なので分数の計算は簡単だ。 ということになります。   そうなるまでは、ひ...

算数は小学2・5年生に山がある その1

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  算数の計算について考えると小学2年生は九九の習得。 小学5年生は小数のかけ算・わり算、分数のたし算・ひき算の習得がある。   小学2年生の九九は計算の基礎に当たる。 これができないと算数の計算はできない。 ということになる。 だから、これが重要というのは分かる。   かけ算・わり算の計算は九九がもとになっている。 九九ができないということは算数ができないということになってしまう。   だから、小学2年生は算数において重要な学年となる。   ただ覚えるだけなので、九九は習得の早い遅いはあるとしても、ほとんどの人は覚える。 九九を土台に加減乗除の計算が成り立っている。   その加減乗除の基本の計算の理解の上に小5で学習する小数のかけ算・わり算、分数のたし算 ・ひき算がある。   小数のかけ算は今まで学習した、かけ算・わり算をして小数点をつける。 ここで気をつけなければならないことは小数のわり算のあまりの計算の時になる。   小4までの算数の計算ができているということが前提での小5の計算がある。   つまり、小数のかけ算・わり算は小5の前までに学習したかけ算・わり算ができていれば、答えの小数点の位置を注意すること。 あまりの小数点の位置を注意すること。 ぐらいになる。 (このあまりのあるわり算のあまりの小数点の位置が間違いやすい。)   小数のかけ算・わり算は今までの計算の延長上にある。 それに対して分数のたし算・ひき算は異なる。   たし算なのに分母の数はたさない。 異分母ならば分子の数もたせない。   今まで学習した通りではない。 ここでちょっと混乱してしまう。 まだ、分数のかけ算・わり算の方が素直だ。   分数のかけ算・わり算は小6で学習する。 分数のかけ算・わり算の方がどちらかというと分数のたし算・ひき算より簡単である。   通分した後の分数のたし算・ひき算の計算自体はそれほど難しくない。 九九の範囲にあるくらいの計算がメインになるくらいだ。  ...

「ティアムーン帝国物語」 TVアニメ

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  最近放映されるTVドラマで観たいと思われるドラマがない。 そこで、ちょっとTVアニメを観てみた。   TVアニメはあまり観ていなかった。 映画ならば、宮崎駿監督、細田守監督、新海誠監督作品など多く観ている。 どの作品も映像が綺麗で素敵だなと思っている。   アニメ映画と比べるとTVアニメはちょっとね。 と思っていた。 映像もちょっと見劣りする。 と思っていた。   特に、少女漫画系のアニメは先入観があった。 特に無理と思っていた。 お目目パッチリで、声が鼻にかかっていて、ちょっと声高。 そんな現実離れしたお嬢様が動き回る。 そんなアニメ と思っていた。   無理、無理。 この先 観たいとも思わないし、観ることもないと思っていた。   このお目目パッチリお嬢様系アニメがTVアニメの全てではないのに。 偏見という声も聞こえる。 そんなことで、それほどTVアニメは観ていなかった。   しかし、TVドラマの代わりにちょっと観たTVアニメが面白かった。 最近のTVアニメはアニメ映画と同様に、こんなに映像が美しくなっていたのか。 ちょっと驚き。   そんなことでTVアニメを観るようになってしまった。 そして、その勢いで、お目目パッチリお嬢様系アニメにも足を踏み入れてしまった。   すると、先入観の塊があっという間に溶けた。 普通に、お嬢様系アニメを楽しむ自分が新たに形成された。   お目目パッチリお嬢様系アニメはちょっと無理。 とあれほど言っていたのに。 いとも簡単に、お目目パッチリお嬢様を受け入れてしまった。 それどころか喜んで何回も観てしまう。 そんなお目目パッチリお嬢様も現れる。 困ったもんだ。   悲しいかな、前言撤回で自分が今楽しみにしているアニメがある。 いちばん観ないだろうと言っていたお目目パッチリ系お嬢様アニメ   「ティアムーン帝国物語」 このアニメを恥ずかしながら楽しんでいる。 何回も観ては喜んでいる   このアニメを観ていると何か楽し...