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目線を変える

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  古い映画になるけれど、スピルバーグ監督の「 E.T. 」という作品がある。 映画「 E.T 」は当時、大ヒットした。   良かった点の一つにカメラワークがあると言われた。 当時は斬新だったらしい。   「 E.T. 」、子供たちが見ている映像をそのままスクリーン上に映し出した。 「 E.T. 」、子供たちの視線で見える範囲を映像にしていた。   カメラをいつもより下の位置にして撮っていたらしい。 子供たちが見ている物が分かると子供たちの気持ちも分かりやすい。 同じ目で見ることで同化できる。   親が子どもを育てる時。 子どもが赤ちゃんの時には赤ちゃんの気持ちになって考える。   今、お腹がすいているのか。 オムツを替えてほしいのか。 眠りたいのか。 赤ちゃんの気持ちになって考えなければ分からない。   子どもが幼い時もそうだ。   何をして遊びたいのか。 何が欲しいのか。 子どもの気持ちになってみないと分からない。   子どもの気持ちを知りたくて、自然と自分も子どもになっている。 頼まれたわけでもないのに、命令されたわけでもないのに。 あたり前のように子どもになっている。   時が過ぎて。 いつの間にかそんなことも忘れてしまっている。   いつも、目はまっすぐ前しか見なくなってしまっている。 上も下も見なくなってしまっている。 目線はいつもまっすぐ前に向かっている。   目線を変える。 そんなことも忘れてしまった。 目線を変えるだけで新しいもの、今まで見えなかったものが見えてくる。   時には、自分の愚かさも見えてくる。     2023/11/28    

できる人は土台を無意識に作る

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  建築物は当然のことながら、スポーツ、勉強、芸術、あらゆるものに土台がある。 その土台がしっかりしているかどうか。 それにより土台の上に立つものが決められる。 土台はしっかりしている方が良い。   土台は繰り返しの連続により固くなり大きくなる。 同じような作業を繰り返すことは、つまらない。 しかし、その作業をしっかりとすることで、しっかりとした土台ができる。 その作業を怠り、土台がしっかりしていないと上に乗る物がぐらついてしまう。   そういうことを各分野において、できる人は無意識に分かっている。 ここで言うできる人とはどんな人かということの分類はむずかしいけれど。 できる人は土台作りが重要だということを無意識のうちに分かっている。 小学生の算数の学習で考えてみる。 勉強ができる人、できない人とあえて2つに分類してみる。   たとえば、新しく計算の方法を習ったとする。 計算の仕方はそれほどむずかしくない。 しかし、それを定着させるには反復、繰り返しが必要となる。   定着のためには計算が10回必要とする。 そこで、計算を10回やるように言われる。   できる人は言われた通り、繰り返して同じような計算を10回する。 しかし、できない人は「もう計算方法は分かっているから10回なんかしたくない。」 と言って2回ほどで計算をやめてしまう。 ここで、できる人と差がついているということを認識していない。   数日後、計算ができているかの確認を行う。 できる人は1回目から簡単にできる。 計算が定着できているのが分かる。   できない人は計算方法が定着しておらず、前回のように1からまた計算方法を覚えるような状態になっている。 また、計算を10回やるように言う。   「計算方法は覚えたから10回なんかやらない。」 と言って前回のように2回で終わりにする。   できる人は確実に土台ができて、次に計算の確認をする時も1回で OK になっている。 できない人は何回も始めからを繰り返さなければならない。   このようにして、で...

算数は小学2・5年生に山がある その2

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  算数の計算では加減乗除の計算ができること。 これが土台になって、小数、分数の計算があります。   計算の総まとめの要素でもあるのが小数、分数の計算になります。 小数のかけ算・わり算、分数のたし算・ひき算は小学5年生で学習します。   そこで、小学5年生は「分からない」という生徒が増える学年になります。   中学の数学の計算では小数の計算はほとんどすることがありません。 1÷3は0 , 333…となり小数では表すことができません。 1 / 3と分数で表します。 ですから正確な数字の計算を行うために分数の計算で行うわけです。   そのことを考えると分数のたし算・ひき算の学習時に「何とかできる」は「確実にできる」にしておかなければなりません。   分数のたし算・ひき算ができない場合は通分、約分ができないことが原因です。 通分、約分ができるには最小公倍数・最大公約数を求めることができなければなりません。   そのため、分数のたし算・ひき算の学習直前には最小公倍数・最大公約数を学習するようになっています。   最小公倍数ができなくても分数のたし算・ひき算ができる方法もあります。 分母の数をかけた数を分母にして計算する方法です。 しかし、この方法では答えは約分をしなければならなくなることが多くなります。   最小公倍数で通分ができないと約分もなかなかできないケースが多く、約分をしない答えのままになってしまいます。 そのため、答えが約分していないので正解とされません。   では、分数のたし算・ひき算を確実にできるようにするにはどうしたらよいのか。 残念ながら、この公式を覚えればすぐにできるようになるというものはありません。   ただひたすらに数多く分数のたし算・ひき算をする。 これが一番手っ取り早く計算ができるようになる方法です。   数多く計算をすればコツが分かり、通分・約分も簡単になります。 それらが簡単にできれば、後の計算は楽なので分数の計算は簡単だ。 ということになります。   そうなるまでは、ひ...

算数は小学2・5年生に山がある その1

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  算数の計算について考えると小学2年生は九九の習得。 小学5年生は小数のかけ算・わり算、分数のたし算・ひき算の習得がある。   小学2年生の九九は計算の基礎に当たる。 これができないと算数の計算はできない。 ということになる。 だから、これが重要というのは分かる。   かけ算・わり算の計算は九九がもとになっている。 九九ができないということは算数ができないということになってしまう。   だから、小学2年生は算数において重要な学年となる。   ただ覚えるだけなので、九九は習得の早い遅いはあるとしても、ほとんどの人は覚える。 九九を土台に加減乗除の計算が成り立っている。   その加減乗除の基本の計算の理解の上に小5で学習する小数のかけ算・わり算、分数のたし算 ・ひき算がある。   小数のかけ算は今まで学習した、かけ算・わり算をして小数点をつける。 ここで気をつけなければならないことは小数のわり算のあまりの計算の時になる。   小4までの算数の計算ができているということが前提での小5の計算がある。   つまり、小数のかけ算・わり算は小5の前までに学習したかけ算・わり算ができていれば、答えの小数点の位置を注意すること。 あまりの小数点の位置を注意すること。 ぐらいになる。 (このあまりのあるわり算のあまりの小数点の位置が間違いやすい。)   小数のかけ算・わり算は今までの計算の延長上にある。 それに対して分数のたし算・ひき算は異なる。   たし算なのに分母の数はたさない。 異分母ならば分子の数もたせない。   今まで学習した通りではない。 ここでちょっと混乱してしまう。 まだ、分数のかけ算・わり算の方が素直だ。   分数のかけ算・わり算は小6で学習する。 分数のかけ算・わり算の方がどちらかというと分数のたし算・ひき算より簡単である。   通分した後の分数のたし算・ひき算の計算自体はそれほど難しくない。 九九の範囲にあるくらいの計算がメインになるくらいだ。  ...

「ティアムーン帝国物語」 TVアニメ

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  最近放映されるTVドラマで観たいと思われるドラマがない。 そこで、ちょっとTVアニメを観てみた。   TVアニメはあまり観ていなかった。 映画ならば、宮崎駿監督、細田守監督、新海誠監督作品など多く観ている。 どの作品も映像が綺麗で素敵だなと思っている。   アニメ映画と比べるとTVアニメはちょっとね。 と思っていた。 映像もちょっと見劣りする。 と思っていた。   特に、少女漫画系のアニメは先入観があった。 特に無理と思っていた。 お目目パッチリで、声が鼻にかかっていて、ちょっと声高。 そんな現実離れしたお嬢様が動き回る。 そんなアニメ と思っていた。   無理、無理。 この先 観たいとも思わないし、観ることもないと思っていた。   このお目目パッチリお嬢様系アニメがTVアニメの全てではないのに。 偏見という声も聞こえる。 そんなことで、それほどTVアニメは観ていなかった。   しかし、TVドラマの代わりにちょっと観たTVアニメが面白かった。 最近のTVアニメはアニメ映画と同様に、こんなに映像が美しくなっていたのか。 ちょっと驚き。   そんなことでTVアニメを観るようになってしまった。 そして、その勢いで、お目目パッチリお嬢様系アニメにも足を踏み入れてしまった。   すると、先入観の塊があっという間に溶けた。 普通に、お嬢様系アニメを楽しむ自分が新たに形成された。   お目目パッチリお嬢様系アニメはちょっと無理。 とあれほど言っていたのに。 いとも簡単に、お目目パッチリお嬢様を受け入れてしまった。 それどころか喜んで何回も観てしまう。 そんなお目目パッチリお嬢様も現れる。 困ったもんだ。   悲しいかな、前言撤回で自分が今楽しみにしているアニメがある。 いちばん観ないだろうと言っていたお目目パッチリ系お嬢様アニメ   「ティアムーン帝国物語」 このアニメを恥ずかしながら楽しんでいる。 何回も観ては喜んでいる   このアニメを観ていると何か楽し...

よちよち金魚が大きくなっても

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  金魚を飼っている。 らんちゅうを飼っている。 もう、何十年も飼っている。   残念ながら命を落としてしまうことが何度もあって、今になっている。 その度に、新しい金魚を入れて現在に至っている。   週に1回は水槽の掃除をしなければならない。 さくらももこがエッセイで、子供の頃に実家のグッピーを全滅させた。 と書いている。 酸素を送るポンプの電源を外したままで忘れてしまったそうだ。   このエッセイのように、自分も水槽の掃除をした後に酸素を送るポンプのスイッチを入れ忘れて2日間放置し、金魚が 1 匹だけ残ってあとは全滅したという経験もある。 かわいそうなことをした。   その反面、そのような後は新しい金魚があらたに住人となる。 せっかく大きく成長したのに。 という気持ちと、 小さいと可愛いな。 という気持ちがクルクル回る。   新しく入った金魚は小さくて可愛い。 金魚屋さんからやってくる。 金魚屋さんは金魚のことをこの子と言っていた。 商品とは考えていない。   このことを子供に言うと、 「そんなことは当たり前。 ぬいぐるみをこれなんて店員さんが言ったらお客さんは怒るよ。 ぬいぐるみは物じゃないんだよ。 ましてや、金魚は生き物なんだから当然。」 そうなんですね。   赤ちゃんがよちよち歩きをするように、 金魚が小さい時は(らんちゅうは特に)、ヒレを大人の金魚よりも多くふらないと水中で体を保てない。 前に動けない。 だからその分、ヒレをふる回数が多い。   子供のフグのように多くヒレを動かして動いていく。 その様は見ていて心が癒される。   それがいつの間にか2年ぐらいすると、いや、1年ぐらいするともう大きくなってしまう。 よちよち歩きの赤ちゃんのような動きがなくなる。   あの可愛い時を返して。 という気持ちも起きる。 ちょっと可愛いさが半減したな。 そう思う自分もいる。   成長すると金魚も変化する。 小さい時に、この金魚はやけに下あごが出ているな。 ...

ラーメンの作り方

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  「即席ラーメンを作る時に軽量カップを使う。」 と言ったら 「なんで?」 と言われた。   「水を計量カップで測って入れるから。」 と言ったら、驚かれた。   「だってラーメンの袋に書かれている作り方を見ると500m L の水を入れる。 とか、ラーメンによっては450m L の水を入れると書いてある。」   「だから、ラーメンによって作り方を見て水の量を書いてある通りに入れてるんだ。」 そう言ったら、 「そんな袋に書いてある作り方なんか読む人がいるなんて驚いた。」 と言われた。   「ラーメンによっては、スープの素を煮立ったラーメンを止めて鍋の中に入れる方法と、どんぶりの中にスープの素を入れておいてラーメンを煮たお湯を入れる方法とあるんだ。」   「今は、どんぶりの中にスープの素を入れて煮立ったお湯でとく方法が主流みたいだけど。 」 と言ったら、 「何を得意そうに。」 「作り方にはその人、その家々の状況によって変わるんだから、そんなのあまり関係ない。」   「例えば3人分のラーメンを作る時、鍋にいっぺんに3人分のラーメンを入れて作る。」 「そんな時、そんな作り方通りにしていたら面倒くさくてしょうがない。」 と勝ち誇ったように言われた。   「今時、そんな作り方を読んでラーメンを作る人がいるんだね。」 と付け足された。   お米の研ぎ方も電子ジャーを買った時の取扱説明書に美味しいご飯のためのお米の研ぎ方というところがあってそれを読んでその通りにしている。   カレーを作る時もカレーのルーの箱の裏にあるカレーの作り方を参考にしてカレーを作った。 確かに、カレーの場合には初めはその作り方を参考にして作った。 けれど、その後は材料によって変えている。   つまり、初心者が初めて何かをする場合は作り方の通り、取り扱い説明書に書いてある通りにするのが無難だからだ。   何回もやっていくうちに自分流にこちらがいい。 この方がいい。 ということが分かって改良していく。 そういうことだ。  ...

算数ができなくても数学はできる その3

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  算数ができなくても数学はできる。 でも、 当然、算数ができると数学もできる。   ただ、算数はできるが数学ができない。 ということがある。   算数において、 たとえば、かけ算の学習をしている。 計算力がついて、かけ算の計算ができるようになる。   計算ができるようになると、応用問題。 文章問題を解くことになる。   でも、かけ算の学習をしているので文章問題はかけ算の問題になっている。 だから、かけ算の式から問題を解く。 すると、正解。 答えは合っている。   文章問題の内容は分からなくても、答えは合っている。 答えは合っているので、その問題はできたことになる。 できた。 と思ってしまう。 そこが注意しなければならないところ。   文章問題を考えて解いたわけではない。 ただ、かけ算の式だろうと思って解いただけ。 その場合、問題を解いたことにはならない。 ただ、かけ算ができただけ。   実力テストで文章問題が解けない。 文章問題を解くのに式が分からない。 かけ算なのか、わり算なのか、たし算、ひき算なのかが分からない。 このようになってしまう。   普段のテストはできている。 だけど、実力テストはできない。 ということになる。   これは算数ができるが数学はできないということにつながる。   このようにならないためには、 文章問題を考えて解くようにしなければならない。   文章問題の内容を理解して、どのような式になるかを考えて解く。 これが必要になる。 これが数学への道になる。   ただ、小学生は答えを重視する傾向がある。 途中の過程はどうでもよい。 答えが合っていればよい。   その意識のままでは数学はむずかしい。 となってしまう。   小学校の算数において数学ができるようにするには、 文章問題の内容を理解して式をしっかりと考えて作る。 ということを習慣にしなければならない。   ...

算数ができなくても数学はできる その2

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  数学でつまずく一番の要因は中学1年生で学習する負の数・マイナスと以前に述べました。 そのマイナスの計算がクリアできて、次につまずいてしまうのが文字式となります。   小学生で学習する算数は計算力があればできる内容です。 中学生で学習する数学は記号や抽象的な数字を使って論理的に考える力が必要となります。 数学では文字を使って論理的に考えることをします。   中学1年生になってマイナスを使った計算ができるようになると1次方程式の計算を学習します。 これが数学の始まり、数学の階段の上り始めに当たります。   この階段の上り始めに1次方程式の利用(文章問題)があります。 X を使って方程式を作ることができる。 このことが数学ができるにつながります。   小学生の時に算数ができなかったから中学の数学もできない。 そうとは限らない。 という理由がここにあります。   文字を使った式を作ることができる。 これは小学生の時の算数ができるからとは限りません。   再三言いますが、算数は計算力が必要です。 そして、数学は考える力が必要となります。   計算力があるから考える力がある。 ということにはなりません。   計算力は必要ですが、複雑な計算ができる必要はりません。 それよりも X を使って考えることができることが必要となります。   りんごとみかんを合わせて15個買いました。 りんごを5個買ったならば、みかんは何個買いましたか。 このような問題にはすぐ答えられる。 15-5=10 答は10個   けれども、簡単にみかんの個数を答えられたはずなのに、 りんごを X 個買ったならば、みかんは何個買いましたか。 このようになると分からないという人が多くなる。   前の問題で15-5の式の5が X にかわる。 ということが分かりにくい。   そもそも、10個という答えを15-5という式で求めていない場合もある。 算数では5に数字をたして15になる数を求めて10という答えを出すということもあ...