投稿

10月, 2025の投稿を表示しています

学力は「持続力」で決まる

イメージ
勉強ができるようになるために必要なことの一つに持続力があります。 持続力は知識を定着させ、目標を達成するために不可欠な要素です。   この持続力とは、長時間机に向かう体力だけでなく、モチベーションを維持し、困難に直面してもあきらめずに粘り強く取り組む精神力も指します。   勉強の過程では、理解に時間がかかる分野にぶつかったり、成績が伸び悩んだり、誘惑に負けそうになったりといった壁に何度も直面します。 しかし、持続力があれば、これらの壁を乗り越えることができます。   日々の小さな積み重ねこそが成果となって現れる源です。 計画を立て、それを習慣にし、時には休憩を挟みながらも前に進むことが、学力をつけるための鍵となります。   「やればできる」という言葉はよく耳にします。 しかし、「やればできるのだから、今はやらなくてもいい」と、やらない理由にしてしまうケースが多く、これこそが問題です。   また、実際に努力して一度できたとしても、持続力がなければすぐにできない状態に戻ってしまいます。 せっかく一度できるようになっても、すぐにやめてしまえば、結果はできないのと同じです。 つまり、持続力がなければ、一時的に「やればできる」状態になったとしても、それを維持できず、最終的には「やってもできない」ことと同等になってしまうのです。   一時的な達成ではなく、それを維持し続ける力こそが、勉強ができるようになるために必須の条件です。 「継続は力なり」と言われるように、持続し、努力し続ける力は、他のどんな才能にも勝る大きな力となります。   そして、重要なのは、この持続力は生まれ持った才能ではないということです。 これは自分の考え方や行動の仕方次第で誰もが身につけていくことができる、生活の中で獲得されていく後天的な能力なのです。 だからこそ、今一度、持続力をつけることの大切さを再確認する必要があります。   では、持続力とは具体的にどのような力でしょうか。 簡単に言えば、「途中でやめてしまわないで続ける力」です。   特に勉強面で考えると、持続力を必要とすることばかりだと分かります。 ...

成績アップにつながる「間違い直し」

イメージ
「一生懸命勉強しているつもりなのに、なかなか成績が上がらない」 そう感じているなら、それは勉強の「質」に問題があるのかもしれません。 多くの学生に見られるのが、「間違い直し」が不十分という落とし穴です。 問題を解いて丸付けをしただけで、「今日は勉強した」と満足する。 特にテスト形式の問題を解いたとき、この傾向が強く現れます。 問題を解き、丸付けをして間違いが分かると、正解を赤ペンで書き直す。 多くの学生がこの時点で「勉強した」と満足し、「今日も勉強した」と自己満足で終わります。 しかし、単に答えを赤ペンで写しているだけでは、どのような問題で間違っていて、なぜその答えが正解なのかを理解することにはなりません。 これこそが、「勉強しているのにできない」という結果になる大きな原因です 。 勉強の効果が得られにくい「間違い直し」には、主に以下の3つの状態が挙げられます。 ⒈ 問題を解いただけで、丸付けをしていない これは、ほとんど問題を解いていないのと同じです。 ⒉ 丸付けはしているが、間違えた箇所にバツがついているだけ これは、現在の理解度をチェックしたに過ぎません。 ⒊ 間違えた箇所に正解を赤ペンで書き直してある 多くの学生がこの状態で「勉強した」と満足しますが、これはただ答えを写しているだけであり、理解はされていません。 上記のような「間違い直し」は「勉強した」ことにつながりません。 本当に「勉強した」と言えるのは、問題を解いた後、間違えた箇所をしっかりと見直して、正解へのプロセスまでを理解することまでです 。 つまり、「勉強したと」は、単に問題を解くことや答えを写すことではありません。 自分が現状できていない箇所を把握し、「分からない」状態から「分かった」状態に変えることができて「勉強した」となるのです。 「勉強してもなかなか成績が上がらない」と感じているなら、「間違い直し」のやり方を考えてみてください。 間違えた問題の正しい答えを写すだけでは意味がありません。 最も重要なことは、以下の2点について自分の言葉で説明できるようになるまで深く考えることです。 ⒈ なぜ間違えたのか ⒉ どうすれば正しく解けるのか 単に答えを丸写しするのではなく、その問題の間違えた原因をみつけて、正しい解...

不便さが持っていた豊かさ

イメージ
  世の中は科学技術の進化とともに驚くほど便利で快適なものに変化してきました。 しかし、忘れがちなのがその変化により失われたものもあるということです。 それは「不便さが持っていた豊かさ」とも言えるでしょう。   例えば、お風呂にお湯を入れる行為を考えてみます。 現代ではスイッチを1つ押すだけで浴槽に設定した温度のお湯が自動ではられ、設定量に達すれば自動で保温・追い焚きまでしてくれます。 湯量も多すぎて浴槽から溢れる心配もありません。   しかし、このような便利な給湯器がなかった時代は手動で水を入れ、そこから火を焚いて適温にする必要がありました。 その後、給湯器も発達し追い焚き、そのまま給湯などお湯を入れる方法も変わってきました。   まだ水位を感知しない給湯器の時代では給湯を止めるのを忘れると浴槽からお湯が溢れ出て しまいます。 浴槽からお湯がいっぱいあふれ出ているのを見て慌ててお湯を出すのを止める。 そんなことがありました。   そんな時には浴槽いっぱいのお湯につかり、ザバーッというお湯の溢れ出る音を聞きながら何とも言えない「満足感」を味わうことができました。   お湯が溢れ出ることがない現代ではそんな「満足感」を味わうことはできません。   炊飯器の進歩も食生活を一変させました。 昔はかまどでお釜を使ってご飯を炊いていました。 火加減、水加減によってご飯がお粥のようになってしまったり、おこげになってしまったりという失敗もありました。   現代ではそんな失敗は技術により取り除かれ安定した美味しいご飯を毎回食べることができます。 それにも関わらず、時折あのおこげを食べてみたいと感じることがあります。   完璧なご飯ではない失敗から生まれたおこげが貴重な食べ物に感じるのです。   今の世の中は失敗を回避するシステムになっています。 給湯器がお湯を止め、炊飯器が最適な火加減を保つ。 これにより生活は効率的で快適になりました。 しかし、同時に「不便さが持っていた豊かさ」を味わうことからは遠ざかっているのかもしれません。   2025/1...