小説を楽しむために
小説はどうしたら楽しく読むことができるか。 なんて考えること自体、間違っている。 ということは重々承知しているつもり。 むずかしいことを考えることなく小説を読んで自分が楽しいと思えばそれでよい。 という結論になる。 ただ、小説を楽しいと思うには自分の中の知識、体験、想像力などの要素が関係してくる。 ある人にとって非常に面白い小説も自分にとっては面白くない小説となってしまう。 これもこれらの要素が関係している。 できれば多くの人が名著だというような小説を読んで自分も感動したい。 と思うものである。 学生の頃は、夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、川端康成など自分にとってはとっつきにくい本でしかなかった。 でも、名著というものに感動したかった。 だから、挑戦はした。 でも、いつも挑戦しては撃沈していた。 遠藤周作もエッセイのぐーたらシリーズ・狐狸庵先生ものはほとんど読んだ。 けれども沈黙などの純文学は何も読んでいない。 村上春樹なら読めたけど。 やっぱり、夏目漱石の「こころ」くらいは読まないと と思って奮起してはみたもののほんの10ページくらいで脱落。 それを何回も繰り返したので「こころ」だけでも文庫本が3冊になっていた。 今はちょっときれいな日本語を読みたいなという気分の時は夏目漱石の本を読みたくなる。 三島由紀夫の「金閣寺」は最高傑作だと思っている。 年をとったのを実感する。 本を楽しむ要素が年とともに増えていったのだろう。 小説を読んでそのストーリーが面白いなと思えるためにはある程度の要素が関係してくる。 その要素の程度が大きければ大きいほど理解できない小説になってしまう。 小説の登場人物に感情移入するとおもしろくなる。 そのためには書かれている状況が頭の中で映像化できるとよい。 (心情も分かればもっと良いけれど、それは置いておく。) 映像化のためには書かれていることが理解できることが必要となる。 経験、物事を見たり聞いたりしたこと、そして感じた...