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自分に都合の良いこと

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  相手にとって都合が良いこと=自分にとって都合が良いこと。 いろいろ経験して、今はそのように思っています。   人間、楽をしたい。 少しでも楽になる道筋があれば、その道筋に沿って歩きたい。 そう思うのが当然。 と、思う。   自分にとって都合が良いようにしたい。 そのために相手に自分に合わせてもらいたい。 そこで相手の要望を変えてもらう。   自分の都合の良いようになる。 そうなれば自分は楽になる。   でも、なかなかそうならないことが多い。   たとえば、休日返上で仕事をすることになる。 前日に予定を立ててみると1日仕事ではなく、午前中で終わりそうだ。 これなら午後は休みになりそうだ。 そう思って少し喜ぶ。   そこへ取引先から電話がある。 明日の午後に商談したい。 午後は休みになれると思っていたのに。 ダメになるのか。   自分は明日の午後は休みにしたい。 心の中で声がする。   そこで、相手にできれば明日の午前中に会うように変更できないかと頼む。 すると相手が午前中でもよいと変更してくれる。 良かったと心の声がする。   当日になって、仕事をしていると急に電話がかかってくる。 突然ですけど、今日の午後どうしても商談したいので都合をつけてください。 変えることはできないので、午後も仕事をすることになる。   こんなことになるなら、前日の商談も午後にすればよかった。 相手も午後の方がよかっただろうに。 無理に午前にしてもらう必要はなかった。 相手に対して悪かったという思いが起こる。   こんな経験を何回か繰り返す。 すると結論が出る。   自分の都合に合わせても、結局は自分が楽をしたい。 という理由の場合は自分の都合の良いようにはならない。   そんな結論により、自分の都合は考えず、相手の都合を優先すること。 これがいちばんだ。 ということが分かった。   いつも相手のことを優先する。 このことがいちばん...

働きがい

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  昔、東京の個別進学塾で生徒を教えていたことがあります。 そこを辞めることにした時に室長に辞めることは担当の生徒には言わないでおいてくれと言われました。   自分は担当していた生徒には事前に話しておいた方が良いと思っていました。 しかし、室長にそのように言われたので、最後の授業の時まで辞めることは言わないでいました。   最後の授業の終了時に生徒には辞めることを言いました。 そして、教室を出ました。   その後、室長から 「先生が担当していた中学生の女の子が先生の辞めることを知って大泣きされて困った。」 というのを聞きました。   このことは自分にとっては勲章の一つです。 生徒には悪いことをしたな。 という思いがあります。 でも、もうひとつ、そんなに頼ってくれていたのか という思いで、喜びも感じました。 うれしかったです。   こういうことが働きがいと言えるのかもしれません。 その生徒にとっては、自分は信頼できる先生だったのかもしれません。 ありがたいことです。   慕ってくれていたのかもしれません。 うれしいことです。 働きがいというのはこういうことなのかもしれません。   これからも頑張っていこう。 と思える。 そんな出来事でした。   それが今でも頭に残っています。 それが一つの糧になっているのかもしれません。   そういうことが働いていくうちに多く体の中に残っていく。 そのひとつひとつが働きがいの種になります。 種はいつか花を咲かせます。 どんな花が咲くのかは分かりませんが。       2024/01/16    

へそ曲がり

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以前、仕事においてドリルで物に穴を開ける時に上司に言われた。 「ドリルが物に対して垂直になっていないから直すように。」 自分では垂直にドリルを入れていたつもりだった。 けれど、どうもそうではないらしい。   フライパンで炒め物をしている時に 「フライパンがコンロの真ん中になっていない。」 と注意された。 自分では当然、フライパンはコンロのちょうど真ん中になっていると思っていた。   このように、自分では正しいと思っていることが往々にして間違っていることがある。 ということは自覚しておかなければならない。   自分がいつも正しいと思うということは、はなはだ傲慢である。 自分はこう思うけれど、これは正しいのか。 どうなのか。 そのように物事を考えてみる。 という顕著な姿勢が必要だろう。   自分が正しいと思って行動をする。 しかし、間違っていることの方が多いかもしれない。   絵画を見る。 抽象画において、ひょっとするとこの画家は実際に頭の中でこのようにものが見えていたのではないかと思うことがある。   本当はデッサンがしっかりできて、しっかりした絵が描けて、その後の形が抽象画になっているのだろうけれど。   へそ曲がりという言葉がある。 へそが中心にないこと。 つまり、人と変わっている。 ということを意味する。   これなど、本人は自分のへそは中心にあると思っているのではないだろうか。 周りから見れば、へそは中心にないように見える。 けれども、本人は自分のへそは中心にある。 そのように見えているのだ。   周りの人と同じものを見ても見えるものが違う。 そうなれば意見も変わってくる。   周りのものから見ると、へそが曲がっているということになる。   2024/01/11