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10月, 2023の投稿を表示しています

「ティアムーン帝国物語」 TVアニメ

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  最近放映されるTVドラマで観たいと思われるドラマがない。 そこで、ちょっとTVアニメを観てみた。   TVアニメはあまり観ていなかった。 映画ならば、宮崎駿監督、細田守監督、新海誠監督作品など多く観ている。 どの作品も映像が綺麗で素敵だなと思っている。   アニメ映画と比べるとTVアニメはちょっとね。 と思っていた。 映像もちょっと見劣りする。 と思っていた。   特に、少女漫画系のアニメは先入観があった。 特に無理と思っていた。 お目目パッチリで、声が鼻にかかっていて、ちょっと声高。 そんな現実離れしたお嬢様が動き回る。 そんなアニメ と思っていた。   無理、無理。 この先 観たいとも思わないし、観ることもないと思っていた。   このお目目パッチリお嬢様系アニメがTVアニメの全てではないのに。 偏見という声も聞こえる。 そんなことで、それほどTVアニメは観ていなかった。   しかし、TVドラマの代わりにちょっと観たTVアニメが面白かった。 最近のTVアニメはアニメ映画と同様に、こんなに映像が美しくなっていたのか。 ちょっと驚き。   そんなことでTVアニメを観るようになってしまった。 そして、その勢いで、お目目パッチリお嬢様系アニメにも足を踏み入れてしまった。   すると、先入観の塊があっという間に溶けた。 普通に、お嬢様系アニメを楽しむ自分が新たに形成された。   お目目パッチリお嬢様系アニメはちょっと無理。 とあれほど言っていたのに。 いとも簡単に、お目目パッチリお嬢様を受け入れてしまった。 それどころか喜んで何回も観てしまう。 そんなお目目パッチリお嬢様も現れる。 困ったもんだ。   悲しいかな、前言撤回で自分が今楽しみにしているアニメがある。 いちばん観ないだろうと言っていたお目目パッチリ系お嬢様アニメ   「ティアムーン帝国物語」 このアニメを恥ずかしながら楽しんでいる。 何回も観ては喜んでいる   このアニメを観ていると何か楽し...

よちよち金魚が大きくなっても

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  金魚を飼っている。 らんちゅうを飼っている。 もう、何十年も飼っている。   残念ながら命を落としてしまうことが何度もあって、今になっている。 その度に、新しい金魚を入れて現在に至っている。   週に1回は水槽の掃除をしなければならない。 さくらももこがエッセイで、子供の頃に実家のグッピーを全滅させた。 と書いている。 酸素を送るポンプの電源を外したままで忘れてしまったそうだ。   このエッセイのように、自分も水槽の掃除をした後に酸素を送るポンプのスイッチを入れ忘れて2日間放置し、金魚が 1 匹だけ残ってあとは全滅したという経験もある。 かわいそうなことをした。   その反面、そのような後は新しい金魚があらたに住人となる。 せっかく大きく成長したのに。 という気持ちと、 小さいと可愛いな。 という気持ちがクルクル回る。   新しく入った金魚は小さくて可愛い。 金魚屋さんからやってくる。 金魚屋さんは金魚のことをこの子と言っていた。 商品とは考えていない。   このことを子供に言うと、 「そんなことは当たり前。 ぬいぐるみをこれなんて店員さんが言ったらお客さんは怒るよ。 ぬいぐるみは物じゃないんだよ。 ましてや、金魚は生き物なんだから当然。」 そうなんですね。   赤ちゃんがよちよち歩きをするように、 金魚が小さい時は(らんちゅうは特に)、ヒレを大人の金魚よりも多くふらないと水中で体を保てない。 前に動けない。 だからその分、ヒレをふる回数が多い。   子供のフグのように多くヒレを動かして動いていく。 その様は見ていて心が癒される。   それがいつの間にか2年ぐらいすると、いや、1年ぐらいするともう大きくなってしまう。 よちよち歩きの赤ちゃんのような動きがなくなる。   あの可愛い時を返して。 という気持ちも起きる。 ちょっと可愛いさが半減したな。 そう思う自分もいる。   成長すると金魚も変化する。 小さい時に、この金魚はやけに下あごが出ているな。 ...

ラーメンの作り方

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  「即席ラーメンを作る時に軽量カップを使う。」 と言ったら 「なんで?」 と言われた。   「水を計量カップで測って入れるから。」 と言ったら、驚かれた。   「だってラーメンの袋に書かれている作り方を見ると500m L の水を入れる。 とか、ラーメンによっては450m L の水を入れると書いてある。」   「だから、ラーメンによって作り方を見て水の量を書いてある通りに入れてるんだ。」 そう言ったら、 「そんな袋に書いてある作り方なんか読む人がいるなんて驚いた。」 と言われた。   「ラーメンによっては、スープの素を煮立ったラーメンを止めて鍋の中に入れる方法と、どんぶりの中にスープの素を入れておいてラーメンを煮たお湯を入れる方法とあるんだ。」   「今は、どんぶりの中にスープの素を入れて煮立ったお湯でとく方法が主流みたいだけど。 」 と言ったら、 「何を得意そうに。」 「作り方にはその人、その家々の状況によって変わるんだから、そんなのあまり関係ない。」   「例えば3人分のラーメンを作る時、鍋にいっぺんに3人分のラーメンを入れて作る。」 「そんな時、そんな作り方通りにしていたら面倒くさくてしょうがない。」 と勝ち誇ったように言われた。   「今時、そんな作り方を読んでラーメンを作る人がいるんだね。」 と付け足された。   お米の研ぎ方も電子ジャーを買った時の取扱説明書に美味しいご飯のためのお米の研ぎ方というところがあってそれを読んでその通りにしている。   カレーを作る時もカレーのルーの箱の裏にあるカレーの作り方を参考にしてカレーを作った。 確かに、カレーの場合には初めはその作り方を参考にして作った。 けれど、その後は材料によって変えている。   つまり、初心者が初めて何かをする場合は作り方の通り、取り扱い説明書に書いてある通りにするのが無難だからだ。   何回もやっていくうちに自分流にこちらがいい。 この方がいい。 ということが分かって改良していく。 そういうことだ。  ...

算数ができなくても数学はできる その3

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  算数ができなくても数学はできる。 でも、 当然、算数ができると数学もできる。   ただ、算数はできるが数学ができない。 ということがある。   算数において、 たとえば、かけ算の学習をしている。 計算力がついて、かけ算の計算ができるようになる。   計算ができるようになると、応用問題。 文章問題を解くことになる。   でも、かけ算の学習をしているので文章問題はかけ算の問題になっている。 だから、かけ算の式から問題を解く。 すると、正解。 答えは合っている。   文章問題の内容は分からなくても、答えは合っている。 答えは合っているので、その問題はできたことになる。 できた。 と思ってしまう。 そこが注意しなければならないところ。   文章問題を考えて解いたわけではない。 ただ、かけ算の式だろうと思って解いただけ。 その場合、問題を解いたことにはならない。 ただ、かけ算ができただけ。   実力テストで文章問題が解けない。 文章問題を解くのに式が分からない。 かけ算なのか、わり算なのか、たし算、ひき算なのかが分からない。 このようになってしまう。   普段のテストはできている。 だけど、実力テストはできない。 ということになる。   これは算数ができるが数学はできないということにつながる。   このようにならないためには、 文章問題を考えて解くようにしなければならない。   文章問題の内容を理解して、どのような式になるかを考えて解く。 これが必要になる。 これが数学への道になる。   ただ、小学生は答えを重視する傾向がある。 途中の過程はどうでもよい。 答えが合っていればよい。   その意識のままでは数学はむずかしい。 となってしまう。   小学校の算数において数学ができるようにするには、 文章問題の内容を理解して式をしっかりと考えて作る。 ということを習慣にしなければならない。   ...

算数ができなくても数学はできる その2

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  数学でつまずく一番の要因は中学1年生で学習する負の数・マイナスと以前に述べました。 そのマイナスの計算がクリアできて、次につまずいてしまうのが文字式となります。   小学生で学習する算数は計算力があればできる内容です。 中学生で学習する数学は記号や抽象的な数字を使って論理的に考える力が必要となります。 数学では文字を使って論理的に考えることをします。   中学1年生になってマイナスを使った計算ができるようになると1次方程式の計算を学習します。 これが数学の始まり、数学の階段の上り始めに当たります。   この階段の上り始めに1次方程式の利用(文章問題)があります。 X を使って方程式を作ることができる。 このことが数学ができるにつながります。   小学生の時に算数ができなかったから中学の数学もできない。 そうとは限らない。 という理由がここにあります。   文字を使った式を作ることができる。 これは小学生の時の算数ができるからとは限りません。   再三言いますが、算数は計算力が必要です。 そして、数学は考える力が必要となります。   計算力があるから考える力がある。 ということにはなりません。   計算力は必要ですが、複雑な計算ができる必要はりません。 それよりも X を使って考えることができることが必要となります。   りんごとみかんを合わせて15個買いました。 りんごを5個買ったならば、みかんは何個買いましたか。 このような問題にはすぐ答えられる。 15-5=10 答は10個   けれども、簡単にみかんの個数を答えられたはずなのに、 りんごを X 個買ったならば、みかんは何個買いましたか。 このようになると分からないという人が多くなる。   前の問題で15-5の式の5が X にかわる。 ということが分かりにくい。   そもそも、10個という答えを15-5という式で求めていない場合もある。 算数では5に数字をたして15になる数を求めて10という答えを出すということもあ...

算数ができなくても数学はできる その1

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  算数は計算ができるかどうか。 それが主体です。 計算ができるようになることが、主な学習になります。 計算ができること=算数ができる ことになります。   中学生になって学習する数学では計算は思考のための道具となります。 数学では論理的な思考ができることが主体になります。 考える力が 重要視されます。   だから、算数ができることは数学ができることにはなりません。 当然、計算力があるということは必要となります。 それ以上に論理的思考ができるかということが大切になります。 それができるかどうかが数学はできる、できないになります。   算数では数値を当てはめて計算により答えを導くことが主体となります。   例えば、算数の問題では 「木にりんごが20個なっています。そのうち4個が落ちました。 木に残っているりんごは何個ですか。」   ただ、数値を入れて計算をして求めます。 20-4=16 答 16個   数学では文字等を使って論理的に考え答えを出す過程を重視します。 考える力が主体となります。   例えば、数学の問題では 「りんごが1本の木に20個、みかんが1本の木に50個なっています。 1本のりんごの木からは4個が、1本のみかんの木からは5個が落ちてしまいました。 りんごとみかんの木が合わせて160本ある場所で、りんごとみかんが合わせて20個落ちていました。 りんご、みかんの木はそれぞれ何本ありましたか。 (りんご、みかんの落ちる割合は同じとします)」   連立方程式を作って求めます。 りんごの木を X 本、みかんの木を Y 本とします。 X + Y =160 0.2 X +0.1 Y =20 これを解いて X =40、 Y =120 答 りんご 40本、みかん120本   このように算数と数学では求める力が異なっています。   中学生になっての最初のつまずきの一つが負の数マイナスです。 その次のつまずきが文字式になります。   算数では数字を入れて、ただ計算すればできました。 でも...

言葉でブレーキをかけない。

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  言葉でブレーキをかけない。   問題を解く前から 「できない。」 「分からない。」 と声に出して言う生徒がいます。   ほとんど問題は読んでいません。 それなのに問題がむずかしくて分からない。 というわけです。   そういう生徒は 「できない。」 「分からない。」 と言って問題を見ることが癖になってしまっています。 無意識に言葉にしています。 問題を解く時の号令のようになってしまっています。     「できない。」 「分からない。」 と言うと、 できる問題もできなくなってしまいます。   「できない。」 「分からない。」 と問題を解く前に言う。 それは脳がこれから考えようとすることにストップをかけてしまいます。   車に乗って、これからアクセルを踏んで前に進もうとする。 その時にアクセルを踏まないでブレーキを踏んでしまう状態と同じです。 車は前に進みません。 車を前に出そうとしているのに ブレーキをいくら踏んでも車は前には進みません。   何事も行動する前に言葉でブレーキをかけてはいけない。 しかも、それを習慣化することは、さけなければならない。   前に進むためには、まずはアクセルを踏むことです。 間違ってもブレーキを踏んではいけません。   前に進もうという気持ちを持つことも必要です。 そして、アクセルを踏むことです。     2023/10/07    

学習にも整理整頓

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  朝食を作る。 例えば、トーストを焼く。 目玉焼きを作る。 スープを作る。 コーヒーを淹れる。 ピーマン、ハムを炒める。 これらのことを毎朝行なっているとする。   その場合、それらを作る順序は決まっている。 その日その日によって変わるということはあまりない。 トーストを焼く。 その間に目玉焼きを作る。 などのように工程はいつも決まっている。   初めはいろいろ試行錯誤するかもしれない。 けれども、いちばん流れが良い。 いちばん時間が短縮される。 料理が上手くできる。 それはどんな順序でするとよいのか。 分かってくる。   それが分かると次からはその工程で行われる。 そして、その工程が定着される。 体が覚えて無意識でも体が工程通りに動くようになる。   それが少しの手違いで工程通りいかない。 すると、すべてが上手くいかなくなってしまう。 時間もいつもよりかかってしまう。 いつもと手順が違うと流れが止まってしまう。   その手順が違う要因の一つが配置。 いつも通りに物が配置されていない。 すると、無意識に体は動いても物がない。 いつも通りの工程を行うことができなくなる。   それにより、すべてが狂ってしまう。 そうならないためには正しい配置が必要となる。 正しい配置のためには整理整頓をしなければならない。   整理整頓は工程をスムーズに行うために必要となる。 いつもある所にいつもある 。 それが当然の事のように体は覚えている。 その結果、いつも通りに体が動き、効率が良くなる。   学習においても同じことが言える。   字が乱雑だったり、順序よく式が書かれていなかったりする。 机の上はゴミだらけ。 ペンケースの中には消しゴムのカス。   それは、整理整頓がされていない状態を表す。 それは学習の工程がスムーズに行われないことに結びつく。 問題がなかなか解けないことにもなる。   学習にも整理整頓が必要となり、 正しい配置も必要となる。 ...