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7月, 2023の投稿を表示しています

夏休みにチェック・小数の計算

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夏休みに入って、小学生の今まで学習したことの復習をする。 すると、できていたはずなのに全く白紙の状態になってしまっている。 そんなことがよくある。   特に算数は要注意。 算数は今まで学習したことを土台にして次のステップに進む。 夏休みはその土台がしっかりできているのか確認する良い時期となる。   小学生高学年では、小数の計算ができていないことが目立つ。 けれども、あまり気にしていない人が多い。 結構、できていると思っているからかもしれない。 そこが、落とし穴。   小数の計算は小学4年生から学習する。 まず、小数のたし算・ひき算、小数 × 整数、小数÷整数を学習する。 これらは、小学4年生の後半で学習するので、夏休み前には学習していない。   小学5年生で小数 × 小数、小数÷小数を学習する。 これがちょうど夏休み前に学習して終わる。 小学5年生と6年生が小数の計算で混乱する。   小数のたし算・ひき算が間違いやすい。 当然、学習した時は、ただ小数点をそろえて筆算をするだけなので簡単にできる。 これは小学4年生の時のことである。   その後、小学5年生で夏休み前に小数 × 小数、小数÷小数の計算を学習する。 これらの計算では、小数点の移動が必要となってくる。   かけ算では筆算をして、答えは小数点を移動させる。 わり算では小数点を移動して筆算をする。 どちらも小数点の移動が必要となる。 これが小数の計算方法として頭に残る。   そのため、これら小数のかけ算・わり算の計算の学習が終わった小学5・6年生が小数のたし算・ひき算をすると数字をそろえて計算をする。 という間違いをおこす。 つまり、3.2+4=3.6 としてしまう。 3.2+4=3.2+4.0=7.2 という正解にならない。   また、小数 × 小数の計算で小数点をそろえて筆算しようとしてできない。 というようなこともおきる。   夏休みに復習をすると、そのような状況になっていたりする。 しかし、以前にできていたことなので、その間違いを正すと、すぐ...

日本のTVドラマは面白いのか

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最近の日本の TV ドラマは面白くないと言われている。 なぜ日本の TV ドラマは面白くないと言われるのか。 TV ドラマをあまり観ないので本当の理由は分からない。   けれども、多く観ないからこそ感じることもある。 日本のサスペンス物の TV ドラマを観てみる。 観て感じるのは ハラハラドキドキはしてもワクワクがない。   例えば主人公が窮地に陥る。 敵から色々な方法で攻められて窮地に陥る。 もう絶体絶命という状況に陥る。   けれど、観ている方はこの主人公はどうせ助かるんだろうな。 色々なことが起こっても、最終的には助かるんだろうな。 という感じで観てしまう。 物語の流れが、そういう感じを持たせてしまう。   そして、その通りにハラハラしても最終的には主人公は助かる。 または、窮地から脱する。 やっぱりね。 という感じになる。   この感じがドラマをつまらなくする。   海外ドラマはどうだろう。 アメリカ、韓国ドラマしか観たことがないけれど。 よく、これらの国のドラマは中毒性があって観るとやめられないという。   実際、経験上、次が気になってなかなかやめることができない。 なぜそうなのか。 日本の TV ドラマとどこが違うのか。   ハラハラドキドキに加えてワクワクがある。 ひと言で言うとこうなる。   例えば、アメリカ、韓国ドラマなどを観る。 日本のドラマと同じような感じで観る。 主人公はここで助かるだろう。 と思っていると、そうはいかない。   日本のドラマなら助かるところだが、助からず捕まってしまったりする。 そして、その後やっと助けられて安心した。 これで OK と思う。 すると、また輪をかけて窮地に陥る状態が待っている。 本当に助かるなのかよ。 と思ってしまう。 思わせられてしまう。   そうなると次がどうなるのかが気になる。 どうなるのだろうという気持ちにさせられる。 それがワクワク感に変わる。 それが日本の TV ドラマにはないようだ。 ...

東西南北・みぎひだり

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「そこを東へ50mほど行ったところにある。」 と言ったら 「東ってどっち!」 と言われた。   「あなたの住んでいるところは確かに北に富士山、南に海(駿河湾)。 お日様が登るのが東で、沈むのが西。 と分かりやすいかもしれない。」   「だけど、都会ではどっちが東かだなんて簡単には分からない。」 「出たところを右に50m先。 と言うなら分かるけど。」   小さい頃から父母が当然のように東へ西へと言っていた。 それが当たり前で、そのまま自分も使っている。   出て右に左にという言い方なら分かる。 進む方向に向かって右左なら分かる。 進む方向が分かっていれば分かる。   でも道に迷ってどちらに進んで行けばいいのか分からない時。 立ち往生している時はどうだろう。 どちらを向いての右左か分からない。 東西南北ならば客観的に見れる。 東西南北はどんな時も決まっている。   だけど都会ではいつも太陽が見えるとは限らない。 太陽が見えなければ、どちらが南かなんて分からない。 すると、場所を東西南北で言うのはむずかしい。   ある目印に向かって右左。 それが分かりやすい。   道に迷ってどちらに進んで行けばいいのか分からない。 そんな時、右も左も分からない。 と言う。 右左が一般的ということなのか。   東西南北を使うことが一般的と思っていた。 それが否定された。   環境によって物事は変わる。 環境によって、見方、考え方、話し方、色々なことが変わる。 ちいさな日本においてもそうなのだから。 世界においてだったらもっと変わる。 真逆になることもあるかもしれない。 そういうことを頭に置いて、世界のことも考える必要がある。     2023/05/25    

卵の割り方で臨機応変

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卵がなかなか上手く割れない。 「台の平面上に卵をぶつけて割れば良い。 そうすれば殻が入らないから。」 と言われた。 今までは角に卵をぶつけて割っていた。   平面上で卵を割ることを聞いてから平面上で割るようにする。 それでも、なかなか上手く卵が割れない。 角で割っていた時と同様、上手く割れない。   本当に平面上で割った方がいいのか調べてみる。 角度が鋭いところで割ると殻が内側に入るから平面上で割る。 つまり180度のところで割る方が良い。 と書いてあった。   平面上で割るのが正しいことになる。 でも、なかなか上手く割れない。   そこで 「どうしたらよいのか」 と聞くと 「どちらで割ってもよいのではないか。 その辺は臨機応変に。」 という返事。   臨機応変にということなので、 それからは角で卵を割ることにした。   でも、今回は卵を角で割って、殻がぐしゃっとなって中身が床の上に落ちた。 それも2回。   プロだったなら、こんな時は臨機応変に解決策を見つけるのだろう。 今までの経験からこうしたらよい。 というのが浮かぶのだろう。   プロは臨機応変力が違う。 長年の経験が物をいう。 ドラマなどでもいつもは遊んでいるような上司が難題時に対応力を発揮してみんなを感心させる。   臨機応変ができるのは物事を熟知していなければならない。 どこでは手を抜いてよくて、どこは確実にしっかりやらなければならない。 ということが分かっている。 そうして初めて臨機応変に物事に対処できる。     2023/07/19  

ウグイスが鳴いて凶兆・吉兆

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ウグイスが昨日(7月13日)もホーホケキョと鳴いていた。 今までに7月になってウグイスの鳴き声を聞いたことがない。 例年、5月の終わりか、6月の初めで鳴き声は聞こえなくなる。 それなのに今年は7月の中旬になっても鳴いている。   ウグイスは俳句でも春の季語になっている。 今年は少し鳴き始めが遅いとは思った。 それでも5月くらいからは鳴いていた。 それが7月の今でも鳴いている。 ホーホケキョと天から落ちてくるような勢いで聞こえてくる。 電話をすると相手の電話口にもウグイスの鳴き声が聞こえるらしい。   調べてみるとウグイスは一年中鳴いているようだ。 ただ、ホーホケキョと鳴くのは早春から初夏らしい。   今までに7月になってウグイスの鳴き声を聞いたことはない。 今年が初めての出来事になる。 いつもと違うことが起こっている。   いつもと違うことが起こる。 すると、人は何か良くないことが起きるのではないだろうか。 と考えてしまう。 凶兆という。   それに対して吉兆という言葉がある。 良いことが起こる前ぶれ。   物事は人の考え方によって、良くもなり悪くもなる。 どうせなら良く思った方がいい。   確かに良く思った方がいいということは誰もが思う。 でも、実際には悪いことが起こる。 良く思っても悪いことが起こる。 だから良いことなど思うことなんてできない。   そう言われるかもしれない。 でも、だからこそ良いことを思う。 それが必要になってくる。   人間は悪いことが起こるだろうと考えるようになっている。 これは太古の時代からそうだ。 いや、太古の時代にそう考えた者が生き残った。   生き残った者は凶兆を考える DNA を受け継いでいる。 だから、いつもと違うことが起こる。 すると、何か悪いことが起こるのでは、 と考えるのは自然の成り行き。   でも、何も根拠がなくて、いつもと違うからというだけならば、やはり良いように考えたい。 吉兆と思いたい。 悪いことが起きるとしても...

「継続は力なり」

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「継続は力なり 」とは、よく言ったものだ。 なかなか継続するということはできない。 継続して物事を行うことができる。 それだけで才能だ。   毎日、ジョギングをする。 犬の散歩をする。 日記をつける。   継続はむずかしい。   毎日、これだけはする。 というようなことを決めて実行する。 始めの頃は頑張るけれど、ちょっと何かのことで実行できなくなる。 すると、それが終わりの始まり。 そんなことを繰り返す。 継続できるということはそれだけで才能だ。   毎日、学校へ行ったり、仕事をしたり。 確かに継続していることはある。 それ以外で継続をしようと思って続けられたことがあっただろうか。   少しの間ならできたかもしれないけれど。 なかなか継続というのはむずかしい。 「三日坊主」という言葉がある。 そんな言葉がついて回る。   継続させるためには強制が必要だと思う。 強制されるから、だからするしかない。 そんな気持ちで強制的にする。 その方が続く。 その結果、継続されることになる。   継続されるとしめたもの。 毎日、実行しなければ気持ちが悪くなる。 強制が自発に変わる。   継続させるためには、やはり強制が必要ということになる。 1日の中で時刻を決めてその時刻に行う。 決めておかないと持続できない。 1日の中で、できる時刻にやればよい。 そんな気持ちでは持続できない。   まずは時刻の強制で継続を目指す。     2023/07/12    

基本はやっぱり大事 その3

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勉強ができる子、できない子と区別される。 どこでその区別がされるのか。 やはりテストの点が良い子ができる子と言われる。 テストでよい点を取ることができる=できる子。 とすると、できる子には共通点がある。   例えば、算数・数学では基本の計算問題など面倒くさがらず、黙々と計算をする。 この計算はもうできるから、計算問題はしなくてもよい。 計算は面倒くさい。 などとは言わない。   そんなことを言う子はできる子の中には入れない。 できる子は黙々と計算問題をする。 だから計算も速くなり確実になる。   計算問題をすることが学力アップにつながることを体感しているのだろう。 基本を確実にマスターしておくことが大切だということ。 このことが意識はしていなくても分かっているのだろう。   基本を大切にする。 その意識が向上につながっていく。   基本をしっかり理解すること。 基本を大切にすること。 これが大きな土台を作っていく。   基本がしっかりしていること。 これは樹木に例えれば幹が太く、しっかりした樹木ということ。 幹がしっかりしていれば、そこから出た枝が途中で何かあって枯れてしまったとしても、また新しい枝が出てくるだろう。 幹が丈夫ならば、その脇から新しい枝が伸びていくだろう。 幹が細く弱弱しければ、そうは思わない。   幹は太くて丈夫な方がよい。 樹木を育てるならば、幹を太く丈夫に育てなければならない。   幹は基本だ。 幹を太く丈夫にするためには基本をしっかりマスターしなければならない。 基本のマスターが土台を丈夫な大きいものにする。   そんなことを意識しておく必要がある。     2023/07/07    

基本はやっぱり大事 その2

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物事には基本があり、基本のマスターが最終的到達への近道になる。 それならば、勉強についてはどうだろうか。   勉強も当然そうだ。 算数(数学)、国語、英語、理科、社会など、やはり基本のマスターが必要不可欠になる。 たとえば、算数(数学)の基本は計算になる。 計算ができなければ、次に進めない。 今は電卓があるので、それも必要ないと言えばそうなるかもしれないが。   計算のマスターは結果だけではない。 過程が今までの基本の積み重ねになっている。 わり算の筆算では九九、かけ算、たし算、ひき算などすべての計算が含まれている。 それぞれの学年の基本のマスターの積み重ねと言える。   中学3年生の数学から考えてみる。 2次方程式は因数分解そして1次方程式ができないと解けない。 連立方程式も1次方程式ができないと解けない。 1次方程式は正負の数の四則計算ができないと解けない。 そのように考えていくと小学生の分数、小数などの計算、九九、大きな数の加減。 最終的には小学1年生のたし算、ひき算が出発点になる。 そこから各学年の基本のマスターを積み上げて次の基本のマスターにつながる。   基本のマスターには共通点がある。 その時々に覚える内容自体は難易度が高いわけではない。 マスターするまでに時間がかかる。 しかも同じことを何度も繰り返すことによって基本はマスターできるものが多い。   この繰り返しを辛く感じるかどうか。 そこで挫折をしてしまうか、しないか。 これが次のステップに大きく左右する。   基本をマスターすることは、往々にして同じことの繰り返しにより体得していくことが多い。 なぜ、こんなことをしなければならない。 なぜ、こんな同じことを何回も繰り返す。 めんどうくさい。 そんなことを思うと続けられなくなる。 そして挫折。   そこで挫折しないで続けられた者が基本をマスターできる。 それを繰り返していくとマスターするための繰り返しの回数も減ってくる。 基本をマスターしやすくなる。   後になってみればその基本のマスターが大事だということが...